近世の徴租法

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江戸時代の年貢の徴収方法には大きく分けて、定租法と毛取法の二方法があった。定租法とは、その年の作柄の豊凶にかかわらず、あらかじめ定められた年貢の量を納入するものであり、毛取法とは、その年その年の作柄の良否を調べ、収穫に応じた量を納入する方法である。さらに定租法・毛取法とも、その実施方法によって反取法・定免法・畝引検見法・有毛検見法とに分けられる。

 反取法とは、検地によって各田畑が上・中・下などの等級に分けられ、各一反あたりの収穫量を示した石盛が定められているが、この石盛にしたがい一定の租率によってその年の作柄に関係なく年貢を賦課する方法である。

 定免法とは過去数年、あるいは一〇ヵ年、一五ヵ年の年貢高を平均して租率を定め、三ヵ年、五ヵ年、一〇ヵ年と一定の期間中、その年の豊凶にかかわりなく、定められた租率で年貢を徴収する方法である。

 一方、検見取による畝引検見法とは、稲が成熟した際、検見役人が現地に出張し、坪刈りといって上・中・下おのおのの田を一坪宛刈りとり、これを玄米にした量から推算して各耕地の収穫量を査定し、これによって年貢高をきめる方法である。すなわち坪刈りした稲を玄米にしたとき、もしあらかじめきめられていた一反あたりの収穫量に満たないときは、上・中・下の反別ごとにその不足の差を各耕地にかけたうえ、その見合った分の耕作面積を課税の対象から除く方法である。

 有毛検見法とは、上・中・下の位付にかかわらず、その年の収穫量に応じて年貢高をきめる方法である。つまり全耕地のうちから適当と思われる箇所を坪刈りし、その結果を見て、上・中・下の位付を無視した全耕地の平均年貢高をきめたのである。

 江戸時代初期の年貢徴収の方法は、これらのうち定租法による反取法であったといわれるが、当地域ではこれを確認できる史料はない。その多くは検見取のうち畝引検見法が実施されていたとみられる。定免法は藩によっては早期に実施されていた所もあるが、幕府直轄領でこれがひろく採用されたのは、所によってその時期は異なるが、およそ享保八、九年(一七二三)の頃からである。また有毛検見法の採用は、幕府では享保改革における年貢増徴策の一環として採用したといわれる。これは検地によって定められた田畑の位付は、年数がたつにしたがい、かならずしも上田・下田・下々田の基準とはならなくなったし、肥培管理が進んで下田・下々田でも相当量の収穫をあげるようになったことによる。

 また畑方の場合は、夏成、秋成とに分けられ、その作物も多様であった関係から、検見も正確にはできなかったので、上・中・下の位付によった反取法がはじめから適用されていたとみられる。