荷物の重量制限

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人馬が運ぶ荷物の重量にはそれなりに制限が設けられていた。はじめ慶長六年(一六〇一)一月に、大久保長安・彦坂元成・伊奈忠次らの連名で出された「御伝馬之定」では、積荷は一駄に三〇貫(一一二・五キロ)までとされたが、翌七年六月に伝馬荷は三二貫目、駄賃荷は四〇貫目と定められた。伝馬荷は御朱印・御証文による無賃馬の積荷、駄賃荷は賃銭馬の積荷のことである。その後、元和二年(一六一六)十一月の規定では伝馬荷も四〇貫目と定められ、万治元年(一六五八)には、人足が運ぶ荷物は五貫目までと規定された。このうち四〇貫目の荷物を積んだ馬を本馬と称し、これに対する賃銭が人馬賃銭の基準となった。本馬に対して、馬に人が乗りさらに二〇貫目までの荷物をつけたものを乗掛けと称し、賃銭も本馬と同額であった。人が乗って荷をつけない馬を軽尻馬と称したが、人の外に五貫目までの荷をつけることが許されている。軽尻の賃銭は本馬賃銭の三分の二とされていた。

 人足は一人持の荷物は五貫目であるが、これを超過した時は目方に応じて賃銭を払うことになっている。長持は一棹(さお)が三〇貫目を限度として人足六人がかりとし、それより軽ければ人数を目方に応じて減らすことになっていた。そのほか乗物一挺には人足六人、山乗物一挺に人足四人、山駕籠は人足三人がかり、あおり駕籠が二人、具足は一人持ちと、種類によってそれぞれ定められていた。これら人足一人分の賃銭は、本馬一疋分の半分とされた。

 重量制限のこうした諸規定が設けられていても、人馬の使用者は御定賃銭人馬の使用を制限されているので、できるだけ多くの荷を制限内の人馬で運ばせようとして、目方を超過させたりあるいは不法な手段を構じてこれを継送ることが多かった。

 これに対し、幕府は宝永四年(一七〇七)五月、東海道・中山道・日光道における幕領の宿々に宿手代を常駐させ、宿駅の円滑な業務と法規違反の通行者の監視にあたらせた。しかしあまり効果をあげることができなかったので、正徳二年(一七一二)に宿手代を廃止し、道中奉行の配下に与力・同心をつけてこれを宿々に派遣させ、道中取締りの強化をはかった。と同時に、東海道の品川・駿府・草津、中山道の板橋・洗馬の五ヵ宿に貫目改所を設置し〝過貫目〟(重量超過違反)の荷物の取締りにあたらせた。この貫目改所はその後の寛保三年(一七四三)、日光道の千住宿・宇都宮宿にも設置され、当時、貫目改所入用金二五両が幕府から年々支給された。さらに文政五年(一八二二)には甲州道の内藤新宿と甲府柳町に設置され、天保九年(一八三八)には中山道追分宿にも増設された。

 これら貫目改所には、幕領では支配代官所の手付・手代、私領では藩の役人が出張して重量違反の荷物などを取締ったが、江戸の出入口にあたる千住・板橋・新宿・品川の四宿には、関東郡代所の下役が出張した。ところが寛政元年(一七八九)に郡代所役人による改所出役が中止され、これにかわって宿役人が貫目改めの取締りにあたった。その後、〝過貫目〟の荷物や不法な継送りが一層ひどくなったので、文政四年(一八二一)に再び代官所の手付・手代のなかから一人が常勤することになった。だが、この改所の取締りはかならずしも効果をあげていたとはいえない。取締りの対象がいずれも大名や公家などの貴人の荷物であったからである。

貫目改所の表札

 文政四年の大沢福井家文書「御内〻御尋に付諸家様風説申上」(越谷市史(三)六〇六頁)には、重量違反その他の不正の実態が詳細に記されている。

 すなわち、貫目改所を通過する荷物には、駄賃帳に貫目を記載し、割判を押して継送る定めであるが、千住宿貫目改所ではそのほとんどが駄賃帳をつけないで継送ってくる。なかには駄賃帳がつけられた荷物でも、駄賃帳には四〇貫目と記されてその実四六、七貫目もある。このほか三〇貫目の長持は六人持であるのに四人と記されていたり、すべて不法な記載が多い。不審に思って隣宿草加宿に問合せてみても、草加宿からは納得のゆく返答は得られない。これは草加宿の人馬や助郷の人馬が、平常千住宿で世話になっているので、〝過貫目〟や不法な継送りを知りながら黙って輸送してくるからである。

 千住宿ではこうした〝過貫目〟や不法な継送りを黙認しているので、毎年日光道通行の各藩から付届けとして金二〇〇両余の手当をうけている。また、〝袖の下の掛合〟と称し、問屋・年寄・帳付はもちろん、馬士・人足までも祝儀金を頂戴し、この総額は一年に金五、六百両余にもなると聞いている。こうした役得金はすべてを含めると一年に金三〇〇〇両余にも達し、千住宿の大きな助成となっている。したがって役得のもっとも多い問屋が一人死亡すると、その問屋の跡役をめぐって千住宿八ヵ町の名主がはげしく競いあい、その度に大きな混乱をまねいている。結局入札などで跡役問屋をきめると、問屋役に落選した者が跡役問屋の落度をひろいあげてこれを郡代役所に筒訴(投書)したりする。これがもとで跡役問屋が退役させられたりすると、またその者が遺恨による復しゅうを企てたりして争いは際限もない。貫目改所を預かる宿役人のこうした腐敗のため、他の宿駅はたいへん迷惑している。どうか〝過貫目〟の荷物や不法な継送りのないよう貫目改所を厳しく取締ってほしい。

 以上が、前記史料に記されている貫目改に関する不正事実の梗概である。