助郷には、定助郷のほかに加助郷・代助郷・増助郷と呼ばれる助郷村があり、その時日の長短によって〝当分〟とことわる場合もあった。加助郷村とは、特別の大通行があって、宿と定助郷の人馬では不足するときに、宿と定助郷からあらかじめ道中奉行に要請し、必要な人馬を触れ当てることのできる村々である。越ヶ谷宿の加助郷村は、武蔵国葛飾郡のうち松伏村ほか四一ヵ村、下総国葛飾郡のうち野田町ほか六ヵ村、武蔵国埼玉郡のうち大杉村ほか一八ヵ村、武蔵国足立郡のうち新兵衛新田ほか二ヵ村、計七一ヵ町村に及んでおり、その村々は第24表の通りである。
村高 | 村名 | 村高 | 村名 | 村高 | 村名 | 村高 | 村名 |
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武蔵国葛飾郡 | 石 | 石 | 石 | ||||
石 | 71 | 鹿見塚村 | 130 | 前間村 | 206 | 大松村 | |
1,222 | 松伏村 | 244 | 吉谷村 | 204 | 木売新田 | 262 | 大戸村 |
1,489 | 川藤村 | 220 | 中井村 | 101 | 後谷村 | 659 | 増森村 |
850 | 大川戸村 | 321 | 木売村 | 167 | 土場村 | 1,836 | 増林村 |
1,055 | 上赤岩村 | 213 | 中野村 | 126 | 谷口村 | 449 | 干疋村 |
733 | 下赤岩村 | 577 | 吉川村 | 下総国葛飾郡 | 1,523 | 西方村 | |
443 | 保村 | 268 | 川野村 | 541 | 野田町 | 683 | 見田方村 |
447 | 田島村 | 300 | 関村 | 557 | 山崎村 | 368 | 四条村 |
115 | 鍋小路村 | 283 | 関新田 | 361 | 堤根新田 | 207 | 中嶋村 |
200 | 十一軒村 | 236 | 幸房村 | 415 | 今上村 | 168 | 長嶋村 |
109 | 富新田 | 27 | 岩野木村 | 92 | 桜井村 | 455 | 小曾川村 |
55 | 小松川村 | 89 | 仁蔵村 | 375 | 花井新田 | 150 | 大森村 |
101 | 皿沼村 | 185 | 半割村 | 188 | 横内村 | 299 | 大吉村 |
383 | 上笹塚村 | 160 | 飯嶋村 | 武蔵田足立郡 | 43 | 別府村 | |
574 | 高久村 | 911 | 三輪野江村 | 223 | 新兵衛新田 | 583 | 瓦曾根村 |
550 | 平沼村 | 220 | 下笹塚村 駒形村 |
150 | 藤八新田 | 1,026 | 東方村 |
171 | 川富村 | 291 | 中嶋村 | 38 | 久左衛門新田 | 227 | 南百村 |
390 | 高富村 | 153 | 小谷堀村 | 武蔵国埼玉郡 | 287 | 和戸村 | |
115 | 会野谷村 | 200 | 須賀村 | 279 | 大杉村 |
これらの加助郷村は、越ヶ谷宿付属助郷村の外側に位置しているか、あるいは村柄のよくない村々であり、しかもいずれの宿にも付属していない所が組込まれるのが普通である。たとえば、現越谷市内のうちでも、蒲生・伊原・麦塚は定助郷あるいは加助郷として草加宿に所属し、平方・大泊・船渡などは同じく粕壁宿に付属していたので、越ヶ谷宿の加助郷からは除かれている。この加助郷は大通行のときの臨時の加役であったが、遠隔地の村々では、加助郷勤高によって割当られた人馬を、その多くは金銭で雇って勤めることが一般的であった。それは宿までの往復に日数がかかり、宿泊費や食事その他で費用が蒿んだので、金銭で人馬を請負わす方が得であったし、またその間本業の農作業を休ませずにすんだからである。