利根川

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利根川は一名〝坂東太郎〟とも称され、ほぼ西から東に向かって関東平野を貫流している大河川である。水源地は越後(新潟県)と上野(群馬県)の国境をなす丹後山系大水上山に発し、沼田町で片品川、渋川町で吾妻川、芝根村(現伊勢崎市)で烏川をあわせ、大河となって上野・武蔵両国の国境を流下、さらに常陸国新郷村で渡良瀬川をあわせる。それより下総国関宿町で江戸川を分流し、小貝川、鬼怒川・印旛沼・手賀沼の水をあわせながら常陸・下総両国の国境を流下する。その間霞浦・北浦・浪逆浦等の諸水を集め、下総国銚子で大平洋にそそぐ。これが現在の利根川の流路である。

 しかし往古の利根川は、上野国芝根村で烏川をあわせると、その下流は定まった流路がなく、荒川・渡良瀬川等幾多の河川と錯索滂流しながら現在の東京湾にそそいでいたという。『埼玉県史』によると、長禄元年(一四五七)、太田道灌が江戸城を築くにあたり、武蔵国大里郡葛和田地先から足立郡草加、葛飾郡新宿を経て東京湾に達する水路を浚疏してのち、ようやく利根川下流の河身が定まったとある。

利根川水系古代(約1000年前)想定図<br>(吉田東伍著 利根川治水論考による)

 その後の利根川主流は、葛和田から川俣にいたり、川俣で分流の三派のうち会ノ川筋を南下、不動岡・加須を経て大桑村川口にいたり、杉戸・粕壁・松伏の現古利根川筋を流下して吉川で荒川をあわせる。なおもこの利根川主流は葛飾と埼玉の郡界を画しながら猿ヶ俣、六ツ木を流れ、ここで綾瀬川をあわせ、亀有から曲流する古隅田川筋を隅田にいたる。隅田でさらに入間川をあわせ、隅田川あるいは浅草川と呼ばれ東京湾にそそいだ。つまり利根川・荒川の二大河川は、その支流をあわせ、すべて江戸近郊隅田村に集中して海に流下していたのである。

近世以前の水路想定図