幸手用水

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利根川の東遷によって治水が保たれた幸手領地域の開発を目的に、関東郡代伊奈忠克は万治三年(一六六〇)、本川俣に圦樋を敷設して水路を開き、利根川の水を古利根川河道に導流させた。これを幸手用水という。この用水はまず大桑村で古利根川(会ノ川筋)に合流し、同村川口で堰止められて幸手領北側用水に用いられた。同時にこの幸手用水は上高野村の琵琶溜井にも貯溜され、ここから中郷用水と幸手領南側用水が引水された。さらにこの余水は下流にも放流されて中島用水の流量を補なった。このため水量を増した中島用水は、同年二郷半領用水と、松伏領本田用水の二用水を松伏溜井から引いて分流することになった。なお上高野村の琵琶溜井の名称は、溜井の形が琵琶に似ていることから名付けられたといわれる。