国役普請

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国役金という特殊な租税を徴収し、このなかから普請の経費を支弁したものを国役普請といった。『牧民金鑑』によると、幕府は享保五年(一七二〇)、日光の大谷川と竹鼻川の川除普請に、はじめて国役金による普請を施工した。このときは普請経費の五分の一を幕府が負担し、残りを下野国一国の百姓役として、下野国の御料・私領・寺社領の別なく国役金を課した。その後、国役による普請経費は、一〇分の一が幕府の負担、一〇分の九が国役とされ、大普請のときは、武蔵・下総・常陸・上野の四ヵ国に国役金を賦課することに定められた。この国役普請の対象となる諸河川は、利根川・荒川・神流川・小貝川・鬼怒川・江戸川の諸川であり、原則として二〇万石以上の大名領を除き、一藩の力では普請のできない所を国役による普請場にしたのである。ただし普請金額が金三〇〇両に達しないときは国役から除かれた。当地域村々の年貢割付状には、河川普請や朝鮮使節のための国役がしばしばみられるが、このほか城郭や皇居などの修復普請にも国役が課せられた。