普請助合村

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組合村ではないが、用悪水路などの普請の際、その手助けをしなければならない村があった。この村を普請助合村とよんだ。「大沢町古馬筥」によって一例を示すと、千間堀の助合村には、増富・増戸・袋・中曾根・増林・増森・中島・小林・備後の各村と、粕壁・大沢の両町がこれにあてられていた。また須賀用水堀の助合村には、袋山・花田・越巻・大間野・荻嶋・大杉・弥十郎・大吉・向畑・川崎・船渡・平方・備後・市野割・大場・中野・大畑の各村があてられており、広範な周辺地域の村々が助合村になっている。これらの村々は、直接組合村でなかっただけに、普請の際の助力をこばんで争論となることがしばしばあった。

 たとえば宝暦元年(一七五一)の春、出羽堀の浚普請が行なわれたとき、出羽堀の組合村々が助合村である越巻村その他の村に助力を求めた。このうち越巻村では、出羽堀とは直接関係ないことを理由に助合をこばんだ。このため出羽堀組合村々では大雨があったとき、報復として越巻村耕地からの流れ水を堰止め、出羽堀には落させないようにしたので、越巻村耕地は一面に水につかった。越巻村ではこの措置を不当としてこれを支配役所に訴えたので、両者争論となったが、仲裁人が入り協議の結果、出羽堀の普請には七分通りの助力をすることで示談となった。このように直接組合村ではないが、関係地域普請場の助合村として、普請の際には助力を求められる場所が数多くあったのである。