江戸時代の越谷地方の農業の中心は水田稲作農業であったが、米は年貢の取立が厳しく、領主のものといった感が強かった。それに比べ、畑作物は農民自身の生活を支えるものとして重要であった。自給自足の経済に閉じこめられていた農民は食塩や鉄製農具などを除いて、あらゆる生活必需品をみずから作らねばならなかったので、わずかずつでも多様な畑作物を生産する必要があった。しかし、このような自給的傾向は時代とともに薄れ、後期になると宿場町や江戸を市場とする商品作物栽培が普及してきた。いま江戸時代に栽培が確認される越谷地方の畑作物をみてみよう。
百姓は「雑穀専一に候間、麦・粟・稗・菜・大根そのほか何にても雑穀を作り、米を多く食ひつぶし候はぬやうに仕べく候」(慶安の御触書)という農政のもとにあっては、まず雑穀の栽培が大切であった。主食作物としては、岡保(陸稲)・稗・もろこし・小麦・蕎麦・大根・きね芋・里芋、副食物・調味料原料としては大豆・奥白大豆・小豆、都市近郊蔬菜類としては午蒡・茄子・木瓜(胡瓜)・瓜・うへ菜、加工農産物としては菜種・葉藍・綿、果樹類としては桃・梅・柿・竹の子などがある。