畑作農事暦

711~713 / 1301ページ

畑作農作業の実態を示す史料として最適というわけではないが、平方村林西寺の安政元年(一八五四)・万延元年(一八六〇)・元治元年(一八六四)の三ヵ年分の「白龍山日記録」をもとにして、当時の畑作農事暦を作成したのが第8表である。一作物ごとのくわしい作業過程ははっきりしないが、月順に農事暦をみていくこととする。月日は水田農事暦と対比しやすくするため、陽暦に換算してある。

第8表 越谷地方の畑作農事暦<br>〔注〕 平方村林西寺の「白竜山日記録」により作成。陰暦を陽暦に換算して月日順に配列した。○印は播種期を▽▽印は収穫期を示す。

三月 桃の花が全盛(大林村など)。

四月 上旬に岩槻へきね芋の種を求めに行く。茶の種を畑の畔へまく。三年たてば摘めるようになる。また、柿の木を五、六十本接穂をする。

五月 上旬から中旬にかけて、奥(晩)白大豆・大豆・小豆の種蒔きをする。一方日雇の者を一人か二人雇入れ、菜種を抜き、月末まで種打ちをする。一番打ちで五石三斗、二番打ちで一斗三升を得る(安政六年)。この菜種は長宮(現岩槻市)の油屋へ売却した。月末のころ茄子苗中手五〇本、奥手三〇本のほか、木(胡)瓜苗二〇本を植えつける。この月は田植とも重なり多忙を極める。

六月 上旬に芥子を抜き、種打ちを行い、芥子種三斗七升(安政六年)を得る。芥子種も長宮の幸右衛門に売る(万延元年)。下旬に日雇を入れ、小麦を苅り取る。このころ桃の葉を落し、果実を日光にさらして赤味をつける。

八月 上旬に下男が麦搗きをする。

九月 上旬に寺中総出で、大豆を引きはじめ、中旬から下旬にかけて大豆打を行なう。万延元年には大豆を七俵収納、このうち六斗を味噌糀にし、十月上旬味噌舂きを行なう。例年二、三樽の味噌を作る。余った大豆は越ヶ谷宿穀屋へ三俵(元治元年)、忠兵衛へ六俵(万延元年)程売る。

十月 上旬雨天続きのため、のびのびになっていた菜種蒔きをはじめる(元治元年)。中旬に日雇を入れ、芥子を蒔く。このころ葉藍を一八貫余り売却する(登戸村)。春より秋まで旱にて木綿大あたり(天明八年越巻村)。

十一月 上旬に日雇を一人入れて小麦を蒔く。うへ菜を蒔く。

十二月 上旬に大根引きをする。また先月植えた菜のうろ抜きをする。下旬そば粉をひく。