七左衛門村御料分の石高所持による階層構成を、天保五年(一八三四)と明治四年(一八七一)の宗門人別改帳によって作製したものが第14表である。
石高 (石以上―石未満) |
元禄10 | 天保5 | 明治4 | |||
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50石以上 | 14 | (20.3) | 2 | (2.8) | 2 | (2.6) |
20~50 | 5 | (7.0) | 5 | (6.5) | ||
10~20 | 23 | (33.3) | 6 | (8.3) | 8 | (10.5) |
5~10 | 22 | (31.9) | 16 | (22.2) | 11 | (14.5) |
1~5 | 7 | (10.1) | 19 | (26.4) | 14 | (18.4) |
1石未満 | 3 | (4.4) | 16 | (22.2) | 19 | (25.0) |
無高 | ― | 8 | (11.1) | 17 | (22.4) | |
計 | 69 | 72 | 76 | |||
無高対高持 | ― | 1:8 | 3:10 |
〔注〕表内の数字は戸数,( )は%である。
これによると、天保五年と明治四年の七左衛門村の階層は、一〇石以上の上層には変化はないが、一石から一〇石未満の層が明治四年には減少し、一石以下と無高の層が増大しているのが顕著である。なかでも無高の層は天保五年の八戸から一七戸と倍加し、高持層の戸数に対する割合は三対一〇に及んでいる。この階層の分化は、高一石から一〇石所持の層のはげしい没落によって特色づけられているのが知れよう。
個別の例で示すと、天保五年に持高七石五斗の金蔵が明治四年には四石九斗となり、持高七石であった源七が二石に、持高四石の清右衛門が無高に転落している。逆に持高の上昇をみせているのは、高九〇石であった八郎左衛門が一二一石に、高五六石の門平が高六三石と、上層農民の土地所有の増大が目につく。