越ヶ谷町女芝居喧嘩一件

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天明元年(一七八一)三月、越ヶ谷町本町の店借たばこや善兵衛が勧進元となって、同町袋町の円蔵院境内で女芝居を興行中、見物人の一人、同町観音横町の橘杏庵が、酒乱のうえ理由もなく短刀を抜いて騒ぎだした。これをみた大沢町の貸元二瀬川善次がいきりたち、芝居小屋の桟敷や障子・薄縁などを手あたり次第投げつけた。二瀬川善次は、大沢町の湯屋五右衛門方に居候していた貸元である。そこでこんどは勧進元の善兵衛が騒ぎだし、わけのわからぬ大喧嘩になった。

 この喧嘩は、いつの間にか越ヶ谷方、大沢方の二つに分かれ、大沢橋をはさんで双方対峙した。越ヶ谷方の若者たちは、塩屋清兵衛宅にあった薪をさかんに大沢方に投げつけた。これに対して大沢方では、二瀬川善次や吉野屋孫右衛門らが抜刀して応戦した。このため往来の旅びとたちは、天嶽寺橋から廻り道をして通行する始末であった。そのうち大沢町の安右衛門が酒をのんだいきおいで、竹鑓を携え橋をわたって越ヶ谷勢のなかへつっこんだ。しかし安右衛門は乱闘ののち、右手の脈所を切られ出血多量で倒れた。

 このため騒ぎがやや鎮まったところへ、越ヶ谷・大沢両町の役人が出向し群衆を解散させた。両町役人はこの旨を、代官伊奈半左衛門役所に届けて検視を願った。検使の役人は勧進元の善兵衛を加害者とみなし、善兵衛を逮捕して牢舎に入れた。安右衛門は間もなく出血多量で死亡したが、両町役人は大勢の相手中なので、下手人は不明であることを主張し、安右衛門の治療・葬式代金三〇両を越ヶ谷町側で出金することにして、示談で済すよう願った。伊奈半左衛門役所ではこの願いを許し、一件を内済処分に付した。