松伏村主殺し事件

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寛政十二年(一八〇〇)六月二十八日の夜のことであった。武州葛飾郡松伏村百姓庄右衛門の後家はつ方に盗賊が押入り、下男富五郎を縛りあげ、はつを殺害してその所持金一四両一分二朱を奪いとるという事件が発生した。代官所から役人が出張し、現場検証を行なったところ、下男富五郎の部屋の莚のなかから、盗みとられた金子が発見され、富五郎はその場で逮捕された。

 奉行所の調べによると、富五郎は、村内香取山などで廻り筒賽博奕に加わり、しばしば賭勝負を行なっていたが、勝負に負けて借金がかさんだので、村内の仲間松之助としめし合せ、主人所持の金子を盗みとることを計画した。犯行の夜、富之助は主人はつの居間をこじあけ、金子の入った葛籠(つづら)に手をかけたところ、はつが物音に目を覚して声を立てたので、富五郎ははつをねじ伏せ、首に縄を巻いて殺害した。このとき松之助が来たので松之助に金二両を与え富五郎を縛らせた。しばらくして富五郎は下女のとよを呼び起し、盗賊に襲われたといって縄を解かせたたうえ、とよに対し、抜刀の賊に襲われたので脅怖のあまり打臥していたと偽証するように言いふくめ、隣家に強盗殺害一件を通報したという。

 一件は勘定奉行菅沼下野守によって吟味が進められ、翌享和元年三月に裁許の申渡しがあった。富五郎は主人殺しの罪により、二日晒、一日引廻し、鋸引のうえ磔の刑、共犯松之助は、引廻しのうえ獄門、とよは偽りの証言により押込、富五郎の博奕仲間の太郎兵衛・岩次郎・伊三郎・勝右衛門は重敲、松伏村役人一同はお叱り、このほか博奕仲間のうち逃亡した無宿の文助を許可なく雇っていた大川戸村百姓善九郎は過料銭三貫文、大川戸村役人一同は急度お叱り、というそれぞれの処分があって一件は落着した。