文政の改革

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幕府は文政九年(一八二六)十月、長脇差禁止令を布告、ついで翌文政十年五月、前文四条、本文四〇条にわたる改革触を布達し、関東全域に改革組合の結成を指示した。これを文政の改革といい、関東諸村に画期的な影響をもたらしたものである。この改革触は、近来無宿共が長脇差や鎗鉄砲を携え、狼藉を働いているが、百姓町人もこれを見まね、長脇差を帯し党を結んで村々を横行している。このような悪者どもの横行は良民の害になるので、今後村々において悪者どもの取締りを強めるという理由で発せられたものである。このうち前文四条の要旨は次のごとくである。

 (1)五人組前書をよく読聞かせ、村内の悪者達を説諭して改心させる。

 (2)近来関東筋の村むらはぜいたくに流れ、神事祭礼に大造りの金をかけている。これらの浪費は村々の困窮の基いになるので、質素倹約につとめる。

 (3)村々において、歌舞妓、手踊・操芝居・相撲そのほか人集めの興行が盛んであるが、以前からの法度の行事であるので堅く停止する。

 (4)農を怠り商いをもっぱらにすることは、田畑の耕作がおろそかになることである。新規の商いは勿論、今まで営なんできた商いも追々停止する。

 ついで本文四〇条が示されているが、この大要はつぎの六項目に整理することができる。

 (1)浪人・無宿者の村内立入り規制。

 (2)強訴・徒党・博奕の禁止、手踊・芝居・相撲等の興行停止。

 (3)冠婚葬祭の簡素化と、神仏参詣旅行の制限。

 (4)村々の商業規制と職人賃銭の統制。

 (5)鷹場取締りの強化と村費の軽減。

 (6)組合村の設定と囚人送り費用などの負担割合。

 この改革法令は、江戸時代中期以降の貨幣経済の進行による農村の様相変化に対応して発せられた農村取締り諸通達の集大成であり、治安の取締りはもとより、経済の統制や村々の生活慣行まで規制したものである。

 幕府はこの法令の遵守を村々に徹底させ、かつ違反者の監視やその摘発を効果的に行なわせるため、三、四〇ヵ村から四、五〇ヵ村単位の組合村の結成を指示した。この組合村は鷹場領域と同じく、御料・私領・寺社領の区別ない一円地域の取締り組織であり、親村を中心に周辺の村々が統合された。