天明三年の類焼拝借

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天明三年(一七八三)一月、越ヶ谷宿のうち大沢町は、本陣・問屋場をはじめ旅籠屋など九三軒焼失の大火に遭遇した。類焼した旅籠や伝馬役百姓は、ただちに家作拝借・小屋掛け拝借を幕府代官に願いでた。しかし、代官役所では、伝馬役百姓のなかには表店は火災にあっても本宅は無事である家が多い。また旅籠屋のなかでも商売替えや在方に引移る者もいて、拝借願人の実数がつかめない。しかも拝借の手続上、度々出府しなければならないので、その費用も嵩むことであり、今回の拝借願いは見合せたらと説得にあたったので、旅籠屋と伝馬役百姓は拝借願いを断念した。

 だが、類焼した本陣福井家では、安永九年(一七八〇)に本陣を拝命した際、本陣向きの修復を借金によって竣工させたばかりであり、自力による再建は不可能なので、金五〇〇両の拝借が必要であると申し立てた。幕府はこれに対し、金一二〇両貸付けの許可を与えたが、この年信州浅間山の大噴火や、冷害による東北地方の飢饉が発生したため本陣貸付額は金九〇両に減額されて、同年八月に下付された。この九〇両の拝借金返済の条件は、向こう三ヵ年据置かれ、無利子による一〇ヵ年賦、一ヵ年金九両宛の返納となっていた。本陣はこの拝借金に他借その他の自己調達金を加え、翌天明四年三月に本陣を再建した。