天明六年(一七八六)八月、関東一円は大風雨の襲来をうけて大洪水となり、各地に大きな被害が続出した。ことに日光道中の千住宿から中田宿にかけては、利根川堤防の決潰によって大きな水害をうけ、日光道中の交通は麻痺状態となった。とくに交通機関としての宿・助郷の人馬は、水難に困窮し、伝馬交通は長期間にわたり渋滞をきわめた。このため幕府は、伝馬交通のすみやかな復興を期し、同年十月、宿々には修復拝借を、助郷には馬飼料拝借を手当した。このとき越ヶ谷宿に下付された拝借金は、本陣に金三〇両、問屋場二ヵ所に合せて金三両、流家二軒に合せて金六両、潰家七軒合せて金一〇両二分であり、ほかに救済手当金として金一五両が下付された。このうち拝借金の返納は本陣拝借が三ヵ年据置の一〇ヵ年賦、流家・潰家拝借が七ヵ年賦償還の条件であった。また、助郷二三ヵ村には、馬飼料拝借として、高一〇〇石につき金二両の割合で総額二三六両と永一四〇文が下付されたが、これは五ヵ年賦償還の条件であった。
なおこのときの道中各宿の本陣拝借は、その被害の程度に応じ、千住宿市郎兵衛・草加宿利兵衛・粕壁宿安左衛門・中田宿孫左衛門の各宿本陣がいずれも金五〇両、杉戸宿清兵衛・幸手宿文左衛門・栗橋宿由右衛門の各宿本陣が金七〇両であり、このなかでも被害の小さかった越ヶ谷宿本陣は、金三〇両の拝借であった。また被害のもっとも大きかった栗橋宿には、本陣拝借金とは別に金八〇両の救済手当金が下付された。