越ヶ谷町民が古来から行なってきた伝統行事として初午がある。内藤家の「記録」によると、越ヶ谷町では初午の行事に盛大な火祭りを行なってきた。この火祭りは町民が火消装束に身をかため、纒その他の火消道具を携えて集合し、越ヶ谷耕地のうち谷中村通りの大通りに藁の木小屋を建ててこれに火を放つ。火が木小屋を包むと人びとは纒をふり水をかけてこの火を消す。消火後歓声をあげて手打ちを行ない、赤山道を引上げ中町の伊勢屋の脇で気勢をあげる慣例であった。
文化十二年(一八一五)は二月二日が初午であり、越ヶ谷町六斎市の市日にあたった。このため市日の人出と火祭り行事が重なり、混雑で収拾がつかなかったため、この年から中町浅間宮脇から丸子屋の脇までを火祭りの引上げ場所と定められた。しかし引上げ場所の変更に人びとは不満だったようである。嘉永元年(一八四八)の初午は二月二日でやはり市日にあたった。この日各町内の若者は揃いの半天、亭主方は木綿の火事羽織をまとい、一同集合した。このうち本町組の若者達が古例にしたがい、火祭りの引上げ場所を赤山道伊勢屋の脇にすることを主張した。このため本町と中町の世話人が、引上げ場所を古例のとおり伊勢屋脇に復するよう新町組に掛合って諒解を求めた。ところが新町組の世話人田中屋が、自分に相談がなかったとしてこれを咎め、町内縺(もつ)れに縺れた結果、この年の火祭りも、その引上げ場所は中町浅間宮脇になったという。