忍藩柿木領八ヵ村強訴一件

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明和九年(一七七二)十一月、忍藩柿木領八ヵ村の百姓二九九人が、年貢先納金の早期返済を要求して江戸に向けて出発、途中千住宿附近で割役等の制止に会い、帰村した。これに対し忍藩阿部家では強訴を厳しく追及したが、処分者は出さなかったようである。

 この事件は、明和八年の暮迄に、忍藩阿部家が年貢米を抵当に、合計一三一〇両にのぼる才覚金を、柿木領八ヵ村から徴収し、このうち四一〇両については時相場をもって元利とも返済したが、残りの九一〇両については利子のみ金子で渡し、残りは返済を五ヵ年間延期する旨を申渡したことに端を発する。これに対し百姓側は、この才覚金は、従来からの金主から借用できず、知り合いを頼って見付た金主からの借金で調達したものであり、しかも田地家財を質に入れたり、妻子を質物奉公人として書入れ調達した金子であるので、返却が延期されるのは非常に迷惑すると窮状を訴えた。また金主に対し領主より説得があったが、これらの説得を無視し、金主は執拗に返還を迫ってくるので困惑している旨を訴えている。こうした百姓たちの訴えに対し、領主側は金主に対する再三の説得工作を行なったが、金主側はほとんどこの説得を無視して返済を迫っている。このような動きは、在村の高利貸資本層の力が増大し、金融の面でもはや支配者である領主も、その非力を暴露して、これらの層を無視しては体制を維持出来なくなりつつあることを示した事件で、以後の領主と百姓と高利貸資本の動向を暗示する事件でもあった。