文化十三年三月十日、埼玉郡四町野村名主伝次郎宅が、約五三〇人程の大沢町の住人により打毀された。これは、三月七日に、四町野村百姓平左衛門方より出火、折からの烈風のため風下である大沢町に延焼し、一九〇軒余が類焼する大火となったが、火元平左衛門方では九日に代官羽倉外記の手代の検分を受け、周囲の類焼に先駆けて焼跡の整備に着手したので、後始末に未着手であった大沢町の類焼者が憤激してこの挙に出たものである。このため代官手代が交代して取調べた結果、火元平左衛門は手鎖村預け、同人地主五人組押込、村役人急度叱り、大沢町役人急度叱り、其他御叱りという裁決が出た。また四町野村名主伝次郎に対し、大沢町の百姓権右衛門他一八人が、居宅・諸道具打毀しの弁償として金一〇〇両を支払い、落着している。
この事件は火事の事後処理に対する、代官手代と村役人の処理の不手際から、罹災者の不満が爆発して起ったもので、直接支配者の施策を問題としたものではなかったが、支配末端の施策の非常識性をついた抵抗運動として受けとめることができる。