村方騒動

1046~1047 / 1301ページ

近世村落の中にあって、村役人層と小前農民層は、幕藩体制の当初から利害関係があるいは一致し、あるいは対立するといった状態が続けられた。村落内部で小前農民層が村役人層を糾弾することを村方騒動と云っているが、これは史料が散逸・未発掘といった状況を考慮に入れても、殆んど全村落に一度位は発生したものと考えてもよい程普遍的にあった騒動である。その大部分が村役人層のとった措置を追求し、リコールを訴えたものである。その烈しいものは一揆として発展していったものもあるが、いずれにせよ村落内部を動揺させ、領主の支配機構の崩壊を早める大きな要因となったことは否むことが出来ない。

 越谷市域に発生した村方騒動で、現在までに史料の上から判明しているのは次の第44表に示した諸事件がある。前述のように、一村落に最低一件位はあっても不思議はないのであるから、村方史料の発見がさらに行なわれれば、件数の増加は当然あるものと想像される。

第44表 越谷地域の村方騒動
年次 地域 原因又は要求
正徳4 袋山村 古河川敷開発取計方不正等ニ付
享保9 砂原村 組頭役役向負担不当ニ付
元文元 砂原村 年頭挨拶他負担方ニ付
元文5 七左衛門村 稲荷免田取扱方ニ付
宝暦年間 蒲生村 土地取扱方不正ニ付
宝暦6 七左衛門村 私領名主三笠博奕興行ニ付
安永6 砂原村 名主役引ニ付
天明元 四条村 組頭普譜後取計方ニ付
寛政年間 蒲生村 年寄役取計方ニ付
寛政年間 西方村 籾買上代ニ付
天保2 越ヶ谷町 宿場助成利足割渡方ニ付
天保12 砂原村 名主役交代ニ付
弘化元 越ヶ谷町 公金押領ニ付
万延2 大房村 村方夫銭徴集方ニ付
慶応元 荻島村 私領組頭役不正ニ付