当地域は、綾瀬川・元荒川・古利根川・庄内古川・江戸川と幾筋もの河川が集中的に貫流している。江戸時代初期の改修による利根川本流の東遷、荒川本流の西遷により、武蔵東部の低地帯は、ほぼ治水上の安定をみたものの、大満水のときはとくにこの改修地点の堤防が決潰したため、付近一帯が洪水に見舞われることがしばしばであった。これら水害のうち記録にあらわれたものを年次的にみると第46表のごとくである。
年月 | 摘要 | 主な出典 |
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慶長元年 | 荒川洪水 | 日本土木史 |
寛永元年8月 | 利根川洪水 | 日本土木史 |
寛文11年8月 | 荒川洪水 | 日本土木史 武江年表 |
元禄16年7月 | 綾瀬川洪水 | 越巻産社祭礼帳 |
宝永元年6月 | 関東洪水 | 西方旧記壱 |
享保2年8月 | 関東洪水 | 西方旧記弍 |
享保13年8月 | 関東洪水 | 日本土木史 武江年表 |
寛保2年8月 | 関東洪水 | 西方旧記弐 武江年表 |
宝暦5年7月 | 利根川洪水 | 西方旧記弍 |
宝暦7年5月 | 利根川洪水 | 西方旧記弐 |
宝暦10年6月 | 綾瀬川出水 | 越巻産社祭礼帳 |
宝暦11年6月 | 綾瀬川出水 | 〃 |
明和3年7月 | 綾瀬川出水 | 〃 |
安永元年8月 | 綾瀬川出水 | 〃 |
安永8年6月 | 利根川荒川出水 | 〃 |
安永9年6月 | 利根川洪水 | 西方旧記参 |
天明3年7月 | 利根川洪水 | 日本土木史 武江年表 |
天明6年7月 | 関東洪水 | 西方旧記参 |
寛政2年7月 | 新方領洪水 | 桜井発議書類 |
寛政3年8月 | 関東出水 | 武江年表 |
寛政5年7月 | 関東出水 | 武江年表 |
享和2年6月 | 関東洪水 | 西方旧記参 |
文政6年6月 | 荒川洪水 | 西方旧記四 |
文政7年7月 | 関東洪水 | 西方旧記五 |
弘化3年7月 | 利根川洪水 | 越ヶ谷内藤家記録 |
嘉永2年5月 | 元荒川出水 | 越ヶ谷内藤家記録 |
安政6年7月 | 元荒川出水 | 越ヶ谷内藤家記録 |
元治元年8月 | 元荒川出水 | 大沢鈴木家記録 |
慶応4年7月 | 元荒川出水 | 大沢鈴木家記録 |
このうち『日本土木史』などの文献によると、古くは慶長元年(一五九六)、寛永元年(一六二四)、寛文十一年(一六七一)、元禄十六年(一七〇三)などに、荒川、利根川、綾瀬川の氾濫による洪水がみられるが、これら年代の当地域における被害状況はつまびらかでない。そこで史料的に知り得る主な水害状況と、それに対処した幕府の救済措置につき、これをみてみよう。