宝永元年の水害

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宝永元年(一七〇四)の洪水は、関東一円の大水であったが、ことに江戸川の氾濫による古利根川筋への逆流により、葛西領猿ヶ俣村の堤防が決潰し、葛西領ならびに江戸下町一帯の大洪水となった。『武江年表』によると、「六月十五日より七月一日、二日江戸近辺大雨、大川筋其のほか大水、八月四日より山水出で下総猿ヶ股土手押し崩し、田畑在家過半破壊して死亡人数を知らず、本所・深川・浅草・山谷・下谷辺屋宇をひたす」とある。このため幕府は古利根川の落口を江戸川から中川に改修したが、この経過は第五章越谷地域の河川と用水に既述したので参照されたい。

水害状況(埼玉県水害誌写真帳)