大名の火災見舞

1091~1092 / 1301ページ

参勤交代その他で大名が旅行するときに休泊する旅館は、主に道中宿場の本陣が利用された。このため本陣が火災で焼失したときは、本陣利用の諸大名が再建資金を貸与し、あるいは多額の見舞金をだしてこれを援助することもあったが、のちには藩財政の窮乏から、少額の見舞金を出すだけにとどまるのが多かったようである。

 越ヶ谷宿の本陣福井家は、天明三年(一七八三)と文化十三年(一八一六)の大沢町火災に類焼したが、このとき本陣再建資金として仙台藩伊達陸奥守に金五〇両、会津藩松平肥後守に金二五両、秋田藩秋田信濃守に金二〇両、米沢藩上杉弾正大弼・盛岡藩南部大膳大夫・庄内藩酒井左衛門に各金一五両、白河藩松平越中守・弘前藩津軽越中守・二本松藩丹羽加賀守に各一〇両宛の借用を申入れた。これに対し仙台藩では天明三年度と文化十三年度に金一五両を見舞として下賜した。しかし金二五両の借用を申入れた会津藩では両度とも銀二枚、金二〇両の申入れをした米沢藩が同じく銀二枚、盛岡藩が天明三年度に金一両二分、文化十三年度が金二〇〇疋の見舞金であった。また金一〇両の借用を申入れた白河藩が両度とも銀一枚、弘前藩が天明三年度に金一両、文化十三年度に金七〇〇疋、二本松藩が天明三年度に金一両二分、文化十三年度が金三〇〇疋という見舞金である。このほか一〇万石以下の大名にも御憐愍の御手当を願ったが、それぞれ第50表のごとくの見舞金が下賜された。

第50表 本陣類焼大名見舞金
大名 居城 天明3年 文化13年
松平陸奥守 仙台 金15両 金15両
秋田信濃守 秋田 銀3枚 金200疋
松平肥後守 会津 白銀2枚 白銀2枚
上杉弾正大弼 米沢 白銀2枚 白銀2枚
酒井左衛門 庄内 銀2枚 白銀2枚
南部大膳太夫 盛岡 金1両2分 金200疋
丹羽加賀守 二本松 金1両2分 金300疋
松平越中守 白河 銀1枚 白銀1枚
津軽越中守 弘前 金1両 金700疋
溝口主膳正 新発田 金300疋 金200疋
田村左京太夫 一ノ関 金200疋 金200疋
内藤徳丸 湯長谷 金200疋 金200疋
秋田信濃守 三春 金200疋
小笠原佐渡守 越前勝山 金200疋 金200疋
米津勘兵衛 羽州長瀞 金100疋 金100疋
石川若狭守 下館 金100疋 金100疋
南部右近 八戸 金200疋
戸沢上総介 新庄 金300疋 金200疋
上杉駿河守 米沢新田 金100疋 金100疋
大田原飛騨守 大田原 金100疋
松平山城守 羽州上ノ山 金100疋 金100疋
六郷佐渡守 本庄 金200疋 金200疋
酒井大学 羽州松山 金200疋 金200疋
大久保佐波守 烏山 金200疋 金100疋
松前志摩守 松前 金100疋 金200疋
大関伊予守 黒羽 金200疋 金200疋
戸田因幡守 宇都宮 金200疋 金200疋
久世隠岐守 関宿 金300疋 金300疋
秋元但馬守 山形 金300疋
織田左近将監 天童 金200疋 金200疋
板倉内膳正 福島 金200疋 金200疋
鳥居丹波守 壬生 金200疋 金200疋
岩城伊予守 亀田 金200疋
土井大炊頭 古河 金200疋
生駒監物 羽州矢島 金100疋
大岡鶴次郎 岩槻
喜連川左兵衛 喜連川
井上遠江守 下妻 金200疋
松平甲斐守 大和郡山 金100疋
佐竹右京太夫 久保田 白銀3枚
津軽甲斐守 黒石 金200疋

〔注〕大名の受領名等は天明3年を主としたが,文化13年のものもある。


 この見舞金の多くは本陣福井氏が江戸の屋敷へ伺って、掛り役人から与えられたが、なかには飛脚をもってこれを届ける藩や、参勤などで休泊の際にこれを下賜する藩もあった。また文化十三年度には、藩財政の倹約を理由にこれを断わる藩も多かった。