西方村の旧記

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八条領の西方村には、河川史料や村方史料などの古文書を編年集録し、これに詳細な考察を試みている「旧記」全五冊、同じく助郷伝馬史料を編年集録した「伝馬」全二冊、同じく幕府の触書を中心に編年集録した「触書」全三冊、計一〇冊が残されている。各巻とも厚紙で装丁された和綴本であり、そのたんねんな墨の跡はいずれも同一人の筆跡とみられ、これを手にする人びとの感動を呼ぶ大書である。

 筆者ならびに編者は今のところ不明であるが、「伝馬」の冒頭に記された項目別目録書の末尾には「右御伝馬一件、古来より証拠書物今般村役人立会の上相改め書留置き候処、少も相違御座なく候、以上」とあり、文政五年(一八二二)十二月の日付があり、西方村の名主・年寄一〇名の連記がある。したがって本史料集は、特定の個人の手になったものでなく、西方村役人共同の編さん作業か、もしくは特定個人の編著であったとしても、村役人一同確認しあい協力のうえの編著であるとみられる。

 しかもこれらの編著は、村内の諸史料を集めただけでなく、近郷村々の旧家を採訪し、関連史料を収集してはその補強に努めている。その成立年代は、「伝馬」が、冒頭のことわり書に文政五年十二月とあるので、同年の成立とみられるが、「旧記」と「触書」は、収録文書の下限に文政九年のものがあるので、おそらく文政九年をそれほど下らぬ時期に成立したと思われる。編著の目的はつまびらかでないが、後世のためのいわゆる後鑑として、村民のうちでもとくに村政にたずさわる者のために編冊されたものであろう。

 これら編著の内容は、「伝馬」天・地全二冊は、すでに『越谷市史(四)』に全文収録したので省略するが、「触書」上・中・下全三冊は、西方村の五組、それに登戸村・西袋村・青柳村の旧家に残されていた触書史料を集めて編集されたものである。このなかには当地域だけに発せられた触書や廻文も数多くみられ、地方史を調査するうえにも貴重なものである。また「旧記」壱・弐・参・四・五全五冊は、支配・土地・貢租・水利・交通・鷹場・災害・村況・風俗・寺社・伝記など、あらゆる村方の史料を編年順に編集し、各年代を通じて問題になった事歴を、文書を中心に一二八項目にまとめて収録したものである。しかも各項目ごとに付記が付され、その前後の経過や沿革を知るための関連史料が収められており、一項目ごとに完結史料としてとらえられるようになっているのが本書の特徴である。

 したがってこの「旧記」全五冊は、西方村の地誌の編さんに活用できるのは勿論、近郷村々の沿革を知るうえにも重要な素材を提供してくれるものである。いずれにせよ、こうした高度な史料の編さんをなし得た在郷農村の、当時の高い文化水準は、いま改めてこれをみなおさねばならないであろう。

西方村旧記