このほか村々の名主などの役人層は、そのつど発せられた触書や廻文、ならびに訴訟書などの村方史料を書留めておき、その後の村政の参考にするためこれを冊子にして残しているが、この帳面を一般に〝御用留(ごようどめ)〟と称している。御用留の形式や内容は、領主からの御用向や触書を書留めたもの、村からの願書などを書留めたもの、この両者を一緒にして書留めたものなど多様であり、その名称も「御用書留帳」とか「御用向控帳」とか「訴書留帳」などと一定しないが、これら御用留を丹念に読めば、江戸時代当時の村政や村況をきめこまかに知ることができる。
越谷地域では、これら御用留類がいくつか発見されているが、その代表的なものに、増林村名主榎本氏が書留めた「御鷹御用書留帳」などの鷹場に関する特殊な書留類のほか、寛政十三年(一八〇一)から明治七年(一八七四)までの村の願書や触書・廻文を書留めた「訴書留」五冊が榎本家に残されている。当時の名主は、支配者の領主側と、被支配者たる一般農民との間にたって、御用・村用をつつがなくつとめ、村内を上手に統轄していかねばならなかったので、相当な知識と教養を身につけていなければならなかった。このため名主層は読・書・そろばんに習熟していたのが普通で、なかには自宅で寺子屋を開き、村内の子弟を教育していた者も多い。
なお、前書のうち「御鷹御用書留帳」は越谷市史第三巻に、「訴書留」全五冊のうち安政三年から慶応四年までの二冊は、同市史第四巻に収録しておいた。
ともかく後世の者にとっては、この「訴書留」が残されていたことで、たとえば幕末期から維新期にかけては、村々に集団の押込強盗が横行していたなど、その時代々々の村の様子をきめこまかに知ることができる。