村田多勢子

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村田多勢子は、国学者で歌人の村田春海の養女でありその後継者として知られる。安永八年(一七七九)か九年のころ恩間村渡辺荒陽の二女に生まれた。幼くして母の生家粕壁の関根福宜について尊円流の和様書道を学び、また一時関根家の養女にもなった。

 父の出府に従って江戸に出たのは十二、三歳の頃と思われる。江戸では一橋家の臣、信夫道別(しのぶみちわき)に師事し、大師流の書、国学、和歌を学んだ。この信夫真五郎道別の仲介によって多勢子は村田平四郎春海の養女になることが成立したのである。

 村田の養女となった後も多勢子は一層学究を深め、諸侯の奥に招かれて歌・物語を進講し、〝都下に一人の女あり〟と称されていた。多勢子は生涯を独身で通し、後嗣には斎藤与右衛門の男春路を養子とした。文政八年春海が没して後、村田国学を継いだ多勢子も、春路にその跡を譲り、五九歳を迎えた天保八年、飾をおろして芳樹尼と称しその余世を送った。

 歿年は弘化四年十一月十二日、江戸八丁堀で六八歳の生涯を終えた。菩提寺は養父村田春海と同じ深川の本誓寺に葬られている。

村田春海の色紙