民間信仰と石造物

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路傍に立てられている庚申塔や馬頭観音、墓地の入口などにみられる石地蔵、あるいは神社の境内に建てられている狛犬(こまいぬ)や燈籠など、石で造られた遺物が我々の身近に数多くみられる。近寄ってよく見ると、その一つ一つの石造物にはおおむね造立者の名と村名、それに年号が刻まれており、なかには、庚申講中・念仏講中・女人講中などという講の名を記したものも多い。

 講というのは、信仰を同じくする者が結成した信仰の集団のことである。庚申講は庚申信仰の信仰集団であり、念仏講は念仏信仰の集団である。また女人講中とは女性だけで結成された講である。

 講には、特定の宗派に属する寺院や、ある種の神社が信者を組織するために作られたものがある。たとえば、日蓮宗の題目講や浄土真宗の報恩講、あるいは野島の浄山寺のように地蔵信者を〝御奉公人講〟いうような講に組織したものもある。これら特定の寺院や神社と直接には関係なく、村びとによって結集され独自に運営された講もある。庚申講や念仏講の多くは、こうした地域的な集団である場合が多い。

 このほか、江戸時代の村びとが信仰した十九夜待、二十三夜待などの講は、特定の教祖や指導者によって運営されるのでなく、村の中で信仰を同じくする人達の全体の意思によって運営されたものであり、村の行事として伝承され、人びとの習俗となった信仰集団である。

 このように、特定の宗教組織の外にあって、講を結成し独自な信仰を展開させたものを民間信仰という。

 江戸時代の村びとは、近隣の人びとと結成したこれらの講を通じ、さまざまな民間信仰を発展させたが、人びとは民間信仰に何を求めたのであろうか。その一端を知るには民間信仰の所産である石造物の銘文が手がかりとなる。

 たとえば、大間野の光福寺境内にある天保六年(一八三五)の普門品供養塔に「天下泰平五穀成就村内安全諸人快楽」と刻まれている。これは、大間野村の観音講の人びとが法華経普門品(観音経)を読誦し、普門品の呪力で、世の中が平和であり、災害がなく、作物が豊かに稔り、村びとが仲良く、家族が安楽に暮していけることを願っていたことを示している。民間信仰は人びとの生活のさまざまな願いをささえるとともに、村びとが講に集い飲食を共にすることで共同体意識を深め、講はさらに娯楽の集団ともなった。江戸時代を通じ講が盛んであったのは、これらのことによるものであろう。