庚申信仰

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庚申信仰は道教の「三尸説(さんしせつ)」によるものである。これは、六十日ごとにめぐってくる庚申(かのえさる)の日に、人の体内にいる三尸というものが、人の寝るのを待って天の司命という神に、その者が六十日間に犯した罪を報告すると、司命はそれにもとづきその者の寿命を裁定するという信仰で、そのため、庚申の晩は色欲を避けるなど精進し、一晩を寝ずに過すことによって三尸の上天を防ぐというものであり、これが平安時代の貴族の間にひろまり、それに仏教やわが国の古い信仰が結びついてできた民間信仰である。さらに江戸時代の末期には富士信仰と結びつき、〝考心〟という文字に置きかえられた明治二年(一八六九)の庚申塔が北川崎観音堂境内(一八六九)に建てられている。

 庚申信仰はすでに室町期には一般庶民にもひろがっており、市内では西方の天文二十一年(一五五二)の弥陀三尊図像板碑に「奉庚待供養」、東方の天文二十二年の同型の板碑に「奉庚申待供養」との銘がみえる。室町時代の末期には庚申信仰が市内にも広がっていたことを示している。これが江戸時代になると全国的に広がり、いたるところ庚申講が結成され、たくさんの庚申塔が造塔されるようになった。

大道新田稲荷社の庚申塔群