月待供養

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月待供養には、十八夜、十九夜、二十二夜、二十三夜、二十六夜などがある。その日の月の出を待ち勢至菩薩の出現を拝む信仰で、講中がお堂や頭屋と称した当番の家に集って飲食をともにしながら寝ずに月の出を待つものである。

 古くは、増林の勝林寺の文明三年(一四七一)の十三仏板碑に「帰命月天子本地大勢至・月待供養・逆修・文明三年十一月廿三日」の銘がある。造立日の二十三日からみて二十三夜待と思われる。

 江戸時代に入っての月待供養塔のうち二十三夜塔は、越ヶ谷の天嶽寺に一つと、上間久里の地蔵堂に元文三年(一七三八)九月吉日の舟型勢至菩薩像の塔の二基がある。

 十九夜塔では麦塚智泉院に「十九夜念仏・元禄十一年(一六九八)三月十九日」と刻まれた勢至菩薩像のものがあるが、これが市内最古の塔である。

 十九夜講は十九日の月の出を待つ月待であるが、女性の念仏講が多かったようである。増森西川の嘉永六年(一八五四)の「十九夜念仏」塔に女人講中とあり、この外、東方の文政十年(一八二七)二月十九日の塔には、おまき他十三名の女性の名がみえる。

 しかし、弥十郎の文化十年(一八一三)十一月吉日の十九夜塔には願主村中、世話人源助、市右衛門と男性の名が見えるので、女性に限らなかったかもしれない。

 地域的には弥十郎、増林、花田、増森、登戸、西方、東方そして麦塚に十一基がみられ、市の東南部に集中している。また十八夜のものは、三野宮にある天保十年(一八三九)の庚申塔に「庚申待十八夜供養」という銘がみえるのがある。

花田西念寺の十九夜塔