鎖国政策の破綻

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ついで安政元年二月十日からはじまったペリーと幕府の神奈川会議は、幾度か協議が重ねられ、同年三月三日、安政の仮条約といわれる日米和親条約が結ばれた。続いて安政五年(一八五八)一部諸藩の反対を押切った大老井伊直弼により、米国・英国はじめ五ヵ国との修好通商条約が締結されるにいたった。ここに二〇〇年にわたる幕府の鎖国政策は破綻し、攘夷と開国の抗争は頂点に達したのである。

 しかもこの安政の開港によって貿易は順調に伸張したが、それは同時に国内経済に大きな変動をおよぼした。当時の日本経済は、急激な国外の需用に応じつつ、しかも国内の消費をも満たすだけの生産能力がなかったので、生糸・茶・海産物・油などの輸出品を中心とした物価騰貴を促したが、それに商人の投機熱が加わり、しだいに他の商品にも波及していった。加えるに天候不順による慢性的な不作・凶作が続き、米を中心とした諸物価は鰻のぼりに上昇し、社会不安は政情不安とともにいよいよ昂まったのである。