江戸城本丸再建

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安政六年(一八五九)十月、江戸城本丸が焼失した。幕府はこの本丸再建資金を、もっぱら御用金で調達しようとしてひろく幕領村々に御用金を課した。

 当地域では翌万延元年(一八六〇)四月、代官竹垣三右衛門が直々に越ヶ谷宿本陣に出張し、越ヶ谷町と大沢町に金一〇〇両宛の本丸再建御用金を命じている。さらに越ヶ谷町には、さきに割当てた品川御台場造成上納金の未納分金一〇〇両もあわせて上納するよう命じている。これに対し、両町は宿財政の困窮を申立てて減額を願ったが許されず、割当ての御用金上納を厳命された。

 このとき越ヶ谷本町組では、越ヶ谷町全体に割当てられた金一〇〇両の御用金のうち金五〇両を調達したが、この上納者は別表のごとく金八両を拠出した塩屋吉兵衛ほか一五軒の重立百姓であった。このほか各村々の富裕層がそれぞれ献金に応じたが、なかでも増林村名主榎本熊蔵らが、「御国恩冥加のため御普請御用途の内へ上納仕りたく存じ候」とて、金二〇〇両を献納している。ただし五ヵ年賦による上納である。

第60表 万延元年 本丸普請御用金上納者越ヶ谷本町組
氏名 金額
両 分
塩屋吉兵衛 8
奈良屋新八 5
富田屋伊左衛門 5
三鷹屋嘉兵衛 4.2
亀屋甚内 3.2
穀屋彦右衛門 3
角弥右衛門 2.1
遠藤重左衛門 2.2
笠屋定次郎 2
中村屋弁蔵 2
正能屋太兵衛 2
丸子屋小左衛門 1
河内屋甚三郎 1
森田藤兵衛 5
堺屋吉右衛門 2.2
桝屋善蔵 3

 幕府はこの上納金の額により、文久元年(一八六一)十二月、ご褒美として帯刀や苗字の身分を許した。このうち荒井清兵衛代官所内でこれら身分を許された者で、所在の確かな者には、孫の代まで帯刀を許された葛飾郡八甫村渡辺七左衛門、一代限り帯刀を許された足立郡小右衛門新田日比企建次郎、一代限り苗字を許された埼玉郡増林村榎本熊蔵、同じく今井幸助、同じく関根平蔵らがいる。

第61表 文久元年 本丸普請多額上納褒美者(荒井清兵衛代官所内)
氏名 褒美
七左衛門 孫代帯刀御免
健次郎 1代帯刀御免
善蔵 孫代苗字1代帯刀
祐助 1代苗字御免
吉右衛門
平之助
熊蔵
幸助
平蔵
貞七郎
順蔵
大八郎
市兵衛
袋山村上納御用金代官受領書