村々の自衛

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維新の動乱に対処し、村々では共同して自衛手段を講構じていた。この自衛措置の一端を、八条領三五ヵ村による寄場組合によってみるとつぎのごとくである。

 慶応四年一月、鳥羽・伏見の戦闘で敗退した幕府は、関東から薩賊を一掃する命令を出し、村々に非常警戒を通達した。八条領組合ではこの非常警戒令にもとずき、領中取締議定を結んだ。

それによると、

(1) 領中にある中川・元荒川筋の渡し船は、八条領南百村の渡し以外差留めるので、その他の渡船場は勿論、川端に繋いだ田船などもすべて宅内へ引取る。

南百の渡し(現吉川橋)

(2) 高一〇〇石につき強壮人足五人を選び、合図次第竹鎗あるいは鳶口を持たせて、名主宅へ駈付け差図をうけさせる。他村で騒動が起きたときは、村役人が強壮人足に付添いで村境に出張し、その村から要請のあり次第現場へ駈付ける。

(3) 悪党そのほか不審な者をみつけ次第取締りにあたり、もし手に余ったときは打殺してよい。これらの処置は大小惣代方の責任で処理し役所へ届ける。

(4) 悪党取締中怪我した者の生活費は村で負担する。ただしその医料費は領中村々の高割負担とし、死亡のときは金二〇両の手当金をだす。

などのとりきめがされており、非常の場合の警報用の半鐘や大鐘が指定されている。また竹鎗や鳶口など用意する諸道具なども示されて、警戒体制の万全を期していた。

 ついで同年閏四月、江戸上野を本拠とした彰義隊の不穏な動向や、幕府脱走兵の地方乱入の報が伝わると、これに備え、組合の大小惣代がしばしば協議のうえ領中の画期的な臨戦体制をしこうとしていた。すなわち非常取締のためとして、

(1) 領中三五ヵ村を六小隊に編成し、各小隊ごとに強壮の者二〇名を備えておく。

(2) いずれの村で騒動がおきても、一五歳以上六〇歳以下の者は家別に出動し、用意の竹鎗や鳶口をもって駈付け、領中防衛にあたる。

(3) 領中取締役人として世話役二、三人を選び、その下に書記と出役を配置する。これら書記や出役は村役人あるいは身元宜きの百姓のうち、劔術や銃の修業のある者を選ぶ。

(4) 事が起たときは五人一組の保衆を組織し、この、歩衆には鎗や銃を持たせる。るこのときには粮米を歩衆一日一人あたり米六合、塩は一〇人あたり一合、味噌は一〇人あたり二合の割合で配給する。

などのとりきめをしている。これら警備にあたった者は、弁当を腰につけ、細引と雨道具とそれぞれの武器を携帯することが示されているので、日夜領中を巡廻することになっていたようである。ただしこの警備体制が実際に実施されたかどうかはつまびらかでない。

 ついで同年八月三日、廃止された旧幕府の関東取締出役に代り、新たに鎮台府において関東取締りを担当する趣旨の通達があり、鎮台府巡察使執事によって、村々の治安取締りは別に通知があるまで文政度改革の趣意にもとずいて万事取計う旨が申渡された。さらに「近頃悪徒徘徊、民間を苦しめ候趣相聞え済さざることに候、取締り方厳重取い候得ども、只今の所右様の者ども徘徊致し候はゞ、銘々竹鎗等をもって打殺し突殺し候とも苦しからず候、事柄により候ては褒美をつかわすべきものなり」と訓示している。

 つまり村々の治安は鎮台府が担当するが、別に通知のあるまで文政度改革の通りに取計う、なお悪党どもをみつけたときは、これを打殺してもよい、場合によっては褒美を与えるとして、村々の自衛の強化を指示している。これにより八条領寄場組合では、改めて鎮台府巡察使の道案内人を四名任命し、領内治安の取締りに専従させた。このときの道案内人四人分の給金は金八〇両であり、この給金は領中村々の高割負担であった。

 また増林村榎本家「訴書留」によると、同年八月、武蔵知県事山田一太夫の下役が取締向御用として越ヶ谷宿に出張し、越ヶ谷宿寄場三七ヵ村組合の村々役人を呼集め、追って盗賊捕縛専門の役人が設けられるので、ひとまず強盗どもの防衛には、組合村限り人足を常備し、夜中は油断なく見廻り、怪しい者を見付け次第盤木(ばんぎ)を鳴らすなどしてこれを知らせ、多人数繰出して強盗などを搦めとること、もし手余るようであれば打殺してもよい、と達していた。これにより越ヶ谷宿寄場組合においても、改めて五名の道案内人を選んでいる。このほか越ヶ谷宿では、組合の道案内人とは別に、「宿方在々ともに騒がしき儀につき」とて独自に越ヶ谷町一〇人、大沢町六人の宿見廻り人足を雇い、この支度金一二両を宿の重立百姓が出金している。

 その後、維新政府は、蒲生村の「御触留」によると、寄場組合を充実し、治安取締りの強化をはかるため、同年十月、寄場組合連合の取締役人を設置した。このとき取締役人に任命された者は、

 東海道品川宿   山本伴蔵・飯田庄十郎

 中仙道板橋宿   豊田喜平次

 甲州道内藤新宿  高松金八

 日光道中千住宿  田中杢左衛門・石出雄二郎

 多摩郡田無町   下田範三

 葛飾郡隅田村   坂田三七郎

 同郡久左衛門新田 望月周太郎

の諸氏であり、これを民政裁判所会計局に附属させた。