五榜の掲示

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すでに三月に、太政官より布告されていた五榜(ぼう)の掲示が村びと達に示されるのもこの頃である。蒲生村の「御触留」によれば、第一にキリシタン・邪宗門を禁止し、第二に人たるもの五倫の道を正しく行うべきこと、殺人・強盗はすまじきことを命じ、第三に徒党・強訴・逃散を禁じている。これらは永久の定法として江戸幕府の方針をそのまま継承したものである。第四は士民の本籍脱走を禁じ、第五には外国との交際が開けたうえは万国公法に従い、外国人を殺傷しないよう命じた。臨時的な禁止令である。これらは五枚の制札として、各村の高札場にかかげられたのである。天地神明に誓うという形で発表されたとは云え、五ヵ条の誓文は「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」など五条よりなる開明的な維新政府の方針がもられていたのであるが、同じ日に、村びとに達せられた右のごとき五榜の掲示は、江戸時代さながらの保守的な禁止令となっていた。ここに維新政府の保守的性格が示されているとみる考え方が強い。