代議人と総代人

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右のような行政上の便宜で開かれた区会、協議会(=県会)は、本来、住民の意志を反映させる必要はなかったのであるが、住民の意志が全然なかったわけではない。間接的には区戸長を通じて県協議会に反映されることもあったし、直接的には村落における種々の紛争となって問題となっていた。紛争の原因はいろいろあるが、年貢はもちろん村費の不正使用や軽減要求などとして起る場合が多い。埼玉県では早くからこれを懸念し、正副戸長に村費の出納を明らかにしておくよう命じている。七年には区戸長会へ村費問題とあわせて代議人設置を諮問し、その結果にもとづいて八年二月には、各村の百姓代を廃止し、公選によって代議人心得を設ける旨を達している。

 百姓代は元来、貢租・村費を名主・組頭が徴収の際、村びとの疑惑を生じ紛争となることのないよう賦課・支出の監視のために設けられた役職である。この精神をうけつぎ、民費の得失を審議する「小前惣代ノ権」、つまり一般村民の惣代の権限をもつものとし、新たに代議人と改称されたのである。この二月末には二区村々でも代議人が公選され、各町村ではこの代議人を含む会議が開かれるようになった。このような動きのうえに八年六月の県の協議会では、地方民会の設立が決定されており、第二区より出席した区長高橋は、市域の他の村々の属する一、四、五、二〇区の代表者ともども賛成した。

 九年十月、太政官布告で町村の金穀公借、共有物取扱、土木起功に関しては総代人を、一町村二名以上選出するよう命ぜられ、埼玉県では十年末に、在来の代議人を廃し、総代人を置くことを布達し、町村会の議員にはこの総代人をあてることに決めている。