壬申地券の発行

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埼玉県では地租改正の前提として、明治五年八月、「地券ヲ発行シ人民土地自主ノ権ヲ有スルノ概旨」(「埼玉県史提要」県立文書館)を布達し、地券の交付作業を始めている。この地券は、明治五年が壬申の年であるので壬申地券という。

 この事業は、検地帳や名寄帳などの江戸時代の土地台帳を基本として土地調査がおこなわれ、各地で行われていた取引上の土地値段が調査されている。この過程で桑、茶園の貢租は重くなるという噂がながれ、村びとの間に疑惑が生まれ、桑・茶の生産が手控えられる情況も生じていた。軽租地の畑は一割の増税も行われたが、反対運動もおこることなく、交付事業は六年五月ごろには、村々によっては完成に近づいていた。たとえば、大里村では「田畑其外直段書上帳」(市史編さん室蔵)がこの時期に作成されている。これによれば、一筆ごとの各耕地の総計は、

  合反別四拾弐町八反六畝拾七歩

    此高三百五拾壱石壱斗六升

      地代金弐千七百五拾四円九拾五銭

となっている。総額二七五四円余の地価を反当地価になおすと六円余となるが、当時の実際の取引値段より安くなっている。この調査にもとづいて、土地一筆ごとに地目、反別、地価、所有者が記された地券が交付されることになる。この後も地券帳、絵図作成の作業が続いているが、全体として終了しないうちに地租改正法が公布されている。

地券証(明治6年)