増林の放牛舎

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県下最初の民間紙である埼玉新報(明治十一年十一月二十五日付雑報)によれば、

  管内果物の最も珍品と云ふは、埼玉郡大房、大林、増林等の数村より生ずる桃子を、増林村の放牛舎にて西洋の法に拠り糖製となし、医学長坪井為春氏の検閲されし甘露桃なり。味ひ清涼にして、甘美に、其功用は腸胃を調へ通利(つうじ)を善くし、胆汁の過泄を停め、又中暑の症に宜しく、船中の眩暈(よい)に妙なり。当節、価格も一層低下にて大鑵十八銭、別号大鑵十七銭五厘、小鑵十五銭なりと云。

江戸時代より有名であった桃林は、明治になっても衰えず、八年ごろには桃林の本拠の大林村では、年間およそ二七二〇籠の桃を生産しており、上質な桃であるため多くは鑵詰に用いられたのであった。また、東京神田へも輸出されている。このほか袋山、向畑、大杉、東小林村で桃の生産がみられた。