天皇の巡幸

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明治九年、国内の諸事件のためのびのびになっていた天皇の奥羽地方巡幸が実現した。戊辰戦争以来の民心を安撫し、天皇制国家を印象づけるためである。越谷地方では五月十二日ごろより準備におわれ出している。(このさ中、英国特命全権公使パークスおよび夫人子供、随員一行が日光見物のため進行した。)二十日には「御巡幸沿道宿村心得書」が布達され、区内の正副戸長が行在所掛、旅宿掛、道路掛、駅逓掛、御厩掛、県官掛、渡船場掛などをつとめるよう指示されている。三十日には県官より田植天覧が伝えられ、大至急準備にとりかかったようである。正副戸長の当日の服装も羽織・袴ときめられ、国旗掲揚も命ぜられている。

 一方、御小休駐輦所にあてられた大沢町の福井権右衛門家(旧本陣)は、植木職、畳職、経師屋等による修繕がおこなわれ、福井家の隣、下田伝之助家へは米田侍従番長、五軒おいた隣、松倉四郎兵衛家には徳大寺実則宮内卿、その四軒隣、福井覚右衛門家には内閣顧問木戸孝允、旧本陣福井家の前、広瀬権右衛門家には右大臣岩倉具視らが休息すべく宿割りされていた(「小休配置図」編さん室文書)。