右でみたような町村内の体制は、明治十七年五月以降に変化する。前にも述べたように戸長役場の区域が改正され、町村行政が広域化するのである。
改正の趣旨は、公選では戸長の適材が得がたく、また戸長の人数が多くては充分の給料を与えることはむずかしいから、役場を合併してほぼ五町村五〇〇戸をもって一役場の区域とし、これに事務練達の官選戸長を配置して高給をあたえ、町村行政の事務能率をたかめようとするにあった。この結果、戸長は官選となり町村会への執行機関の干渉がつよまることはすでに述べた通りである。この改正によって行われた市域村々の変化をみれば第25表のようになる。
連合町村名 | 役場位置 | 戸数 | 人員 | 連合戸長 |
---|---|---|---|---|
伊原村,麦塚村,南青柳村 | 麦塚村 | 444戸 | 2,808人 | (深井七郎兵衛) |
柿木村 | ||||
別府村,四条村,見田方村 | 見田方村 | 496戸 | 3,083人 | (秋山吉重郎) |
南百村,東方村,西方村 | ||||
蒲生村,登戸村,瓦曾根村 | 登戸村 | 423戸 | 2,500人 | (中村信太郎) |
増森村,中島村,増林村 | 増森村 | 465戸 | 2,681人 | (榎本健蔵) |
東小林村,花田村,大吉村 | 北川崎村 | 489戸 | 3,153人 | 染谷七郎兵衛(榎本健蔵) |
向畑村,北川崎村,大松村 | ||||
大杉村,船渡村,弥十郎村 | ||||
平方村,大泊村,上間久里村,大里村,下間久里村 | 上間久里村 | 406戸 | 2,401人 | 吉岡吉太郎( 〃 ) |
大間野村,谷中村,七左衛門村,越巻村,四丁野村,神明下村 | 谷中村 | 436戸 | 2,677人 | 井出庸造(関根宇一郎) |
大林村,袋山村,恩間村,大竹村,大道村,三ノ宮村 | 恩間村 | 390戸 | 2,343人 | 渡辺孝太郎( 〃 ) |
恩間新田 | ||||
南荻島村,長島村,西新井村,砂原村,小曾川村,野島村 | 砂原村 | 408戸 | 2,468人 | 川上次郎右衛門( 〃 ) |
大沢町,大房村 | 大沢町 | 479戸 | 2,571人 | 関根伝吉(島根荘三) |
越ヶ谷宿 | 625戸 | 3,015人 | 小泉市右衛門(関根庸造) |
越谷市史(5),391ページ.( )内は明治22年1月当時の戸長
表によれば、市域村々では五町村五〇〇戸を基準としながらも越ヶ谷宿以外は五〇〇戸に達していない。町村数も北川崎連合村々の九ヵ村より、旧来のままの大沢・大房村、越ヶ谷宿とまちまちである。それでもほぼ四〇〇戸台の連合村に、越ヶ谷宿もふくめて一一ヵ村に統合されている。戸長役場は従来の二六より一一連合戸長役場に減少した。改正前の北川崎や袋山組合村々の連合にみられたごとき統合が、改正によって市域全体におし広げられたものとみることができよう。全国的にみれば、二万九五七四村より一万三九八一ヵ村に減少している。戸長給料も統合によって、全国的には十七年に七〇万円を減じ、十九年には一一三万円余を減じたが、逆に一人あたりの給料は上昇しているのである。埼玉県の場合、十六年より十七年にかけて上等給は二二円より二五円へ、中等は一〇円より一四円に増額されている。