村会議員の選出

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町村会議員は十二年には二〇歳以上、十七年より二五歳以上の男子で、その町村に本籍居住するもので、土地および地租を納めるものであった。土地・地租の制限はない。身体の欠陥者、懲役一年以上のもの、国事犯実刑のもの、身代限りのもの、官吏・教導職のものは議員になれなかった。議員の任期は四年で、二年毎に半数が改選されるしくみとなっている。正副議長は議員のなかよりえらび任期二年である。俸給は支給されず、弁当代のみが支弁されている。会議は毎年五月に開かれ、議員の半数以上の出席を要し、過半数の多数決で決定するものとされた。

 十二年十一月当時、えらばれた最初の村会議員および正副議長は、上・下間久里村、大里村の場合つぎのようであった。

 上間久里村

  議長 上原政右衛門  副議長 小倉善右衛門

     吉岡吉兵衛       上原六右衛門

     池沢勝蔵        上原彦兵衛

     小倉三左衛門      吉岡太左衛門

 下間久里村

  議長 松崎幸次郎   副議長 藤田重次郎

     藤田鳥之助       九ノ里佐兵衛

     荒井新右衛門      藤田儀八

     新井伝六        平仙右衛門

 大里村

  議長 中村栄治郎   副議長 会田市郎右衛門

     飯山久治郎       深野岩次郎

     深野茂一郎       根本喜三郎

     佐藤弥左衛門      長野新五兵衛

いずれも、かつての代議人・惣代人・副戸長などを経験した村内の有力者である。水利・学校・共有財産などに関しては、これら村々の議員のなかから、それぞれ関係する村が連合する連合村会議員がえらばれている。

 一方、明治十七年五月より連合戸長制度となり、数村連合の役場体制ができるにおよんで、連合する各村の村会から連合村会議員がえらばれるようになる。この連合村会はのちに述るように、これ以前の連合村会とは性格が異なっている。当時の村会と連合村会との数的関係を、上間久里連合村でみると第26表のとおりである。

第26表 村会と連合村会の議員数
戸数 選挙人 村会議員数 連合村会議員数
上間久里村 54 42 5 2
下間久里村 54 39 5 2
大里村 45 36 5 2
大泊村 50 42 5 2
平方村 189 175 9 2
合計 392 334 29 10

上間久里村連合

 市域村々ではこの年八月に、新たに村会議員および連合村会議員が選出されているが、その一例を谷中連合村々についてみると

 七左衛門連合村会議員

  桜井富右衛門  増田兵右衛門  井出永蔵

 越巻村連合村会議員

  島村平左衛門  島村伊三郎  坂巻惣左衛門

 大間野村連合村会議員

  中村五郎左衛門  桜井辰五郎  関根伝右衛門

 谷中村連合村会議員

  堀井豊吉 雨野藤右衛門  河津惣吉

 四丁野村連合村会議員

  会田本太郎  大野伊右衛門  松沢権右衛門

 神明下村連合村会議員

  会田左馬之助  鈴木政之丞  高橋平四郎

以上一八名である。町村会議員が町村の一般の住民の意向を反映しやすいのに対し、行政区域の広域化にともなう連合町村会は、各村の代表議員であるところから、有力者層の意向が反映されやすくなるという一般的性質をもっている。