町村会の審議の中心が財政審議であったことはすでにのべた。その財政の性格についてまとめておこう。
三新法の一つ、地方税規則によれば、従来、府県税および民費の名をもって徴収してきた府県費・区費を地方税とし、それらは地租五分の一以内、営業税ならびに雑種税、戸数割などで徴収することにした。支出は、警察費・河港道路堤防橋梁建築修繕費・府県会議諸費など一二項目にわたっている。これらは府県内の利害に関するものに支出されているが、町村内かぎりの費用は、その町村の協議にまかせられている。つまり、府県費、区費を地方税と称し、町村ないし数町村連合の費用は、正式には「協議費」とよばれた。この協議費は名称のごとく、町村内の住民の協議にゆだねられたから、町村の財政運営は自治的性格を法的に認められたことになる。この性格が否定される十七年五月までの町村財政を、協議費財政とよぶことができる。
協議費は町村住民の協議によったから、その費目は各地で区々である。上間久里村・下間久里村・大里村では第27表(一一六頁)のごとく、大きくは五項目が協議されたにすぎない。当時もっとも多額の支出と思われる戸長役場費・教育費が含まれていないのはなぜか不明である。西方村の村会議案によれば、これら戸長役場費・教育費がもっとも多くを占めている。戸長は町村の理事者たる性格と、行政吏的な性格をもち、戸長職務概目によって多くの国政事務を委任されたから、取扱われる事務の諸費用は、一部分が国庫および地方税より補助をうけたほか、大部分は協議費中より支弁された。しかも、その額は年々増している。協議費は町村会による自治的協議により決定されたとはいえ、これまた委任事務費が主要な位置を占めたのである。