自由と民権

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町村財政をはじめとする地方財政は、国家財政と密接な関連をもち、村びとたちの生活に直接に関係する。地租改正を通じ民費から協議費へ、さらに地方税へと展開する財政上の変化は、そのまま地方住民を政治的にめざめさせる過程でもあった。西欧の開明思想が国内にとりいれられて、村びとたちの反対運動にも理論的根拠が与えられることになっている。

 当時の租税負担の重さは、ひとびとに、本来、人民の財産の一部分を提供する以上、その使途については人民も審議に参加する権利があるとする観念を生み出してくる。つまり、人民による財政共議権を目的とする公選民会の開会要求である。このような要求におされて、明治八年ごろより全国各地に公選の町村会や区会が開かれ、県によっては区戸長会を改め公選議員による府県会が開かれるようになってくる。埼玉県はこの動きを顕著に示した県の一つであった。三新法はこのような全国的な動向に応じて公布されている。

 民権とは人権と政権、いいかえれば個人の市民的自由と政治的自由の基本的人権の確立をめざした言葉である。営業の自由、財産の自由をはじめ、信仰の自由、裁判の自由などの諸自由を実現するための参政権要求である。人民が府県会・国会に参与することによって、自由確立の企図を政治的に実現しようとしたのである。この民主主義的諸要求を実現する運動を自由民権運動という。このような運動は、直接的には明治七年一月、板垣退助、後藤象次郎らの民選議院設立建白を契機に、大きなうねりとなって発展する。はじめ征韓論にやぶれて下野した板垣らを中心とする土佐の立志社・愛国社の、おもに士族によって担当された民権運動は、明治八年ごろより地方の区戸長や豪農層に浸透し、十一年の三新法の一つ、府県会規則の公布による府県会の開設を契機に、府県会議員らの豪農商層に担当されるようになっていく。