地域産業の特色

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以上のように、政府および県の奨励と市域村々の改良の動きが、二重の流れとして存在したとするならば、奨励し改良さるべき市域村々の産業は、どのような特色をもっていたのであろうか。

 第33表は、明治八年当時の、市域村々全体(五二ヵ村)の物産調査である。全村を中世以来慣用されてきた「領」別にわけて生産の様子を示している。

第33表 明治8年越ヶ谷地域の生産物調査
八条領村々 越ヶ谷領村々 新方領村々 岩槻領村々 合計
米(糯米) 10,995石(381) 10,436(240) 9,003石 3,078石 33,513石(621)
大麦(小麦) 2,182石(131) 4,376石(145) 6,960石(633) 1,208(31) 14,725石(940)
大豆 667石 1,568石 1,850石 287石 4,372石
小豆 49石 85石 59石 15石 208石
裸麦 73石 73石
21石 55石 76石
20石 20石
蕎麦(蜀黍) 72石(20) 3石 75石(20)
里芋(甘薯) 2,271貫    (22駄) 2,271貫22駄
菜種 25石 33石 9石 67石
蓮根 50駄 367駄 332駄 749石
桃(梅) 2,840籠(320) 2,720籠22石231貫53駄
鶏卵 665箇 665箇
藍葉(茶)     (7貫) 2,981斤 2,981斤(7)
実綿 1,070貫600 770貫380 1,841貫
白木綿(木綿布)    (910反) 850反
14,750枚 22,250・60駄 3,000駄 12,000・160駄 52,360枚220駄
酒莚 27,500枚 27,500枚
叺莚 78,000枚 78,000枚
草鞋 70,000足 850足 70,850枚
小箱 122,600箇 122,600枚
張子達磨 40,000箇 40,000箇
雛人形・造花 21,350箇 21,350箇

「武蔵国郡村誌」

 これら四ヵ領にわかれて所属した市域の村々の基本的な特徴は、いずれも米・大小麦・大小豆を中心とする主穀作の純農村であるということである。これら産物は徐々に商品化されてはいたが、基本的には自給が主であるから、自給的米穀生産地帯ということになる。量的にそれほど多くはないが、米穀以上に商品化の比率の高いものは菜種・蓮根以下の諸産物である。とはいえ、このような特有な商品生産を専業でいとなむ経営はみられないので、これとても農業に基礎をおく副業的な商品生産である。工業として織物、張子達磨、雛人形・造花、小箱生産もみられるが、これも農業と組合わされた、農間余業的な性格がつよい。たとえば、越ヶ谷宿にのみ見られる雛人形・造花の生産は、この頃、雛人形職一三人、造花職一人のあわせて一四人によっておこなわれたが、このうち七人の雛人形職は農業に重点があり、職業調査には農業と届けている。のこり七人にしても、純農村の土産的産業の性格をもつものであった。小箱、達磨の生産にいたっては、まったく農間余業といってよいであろう。

 このような性格をもつ諸生産の地域的な特色をみると、市域村々が水田地帯であるための藁を加工した莚生産がさかんであったことがわかる。とくに八条領の村々が中心である。これを村別にみると八条領の南百・見田方・東方・西方・瓦曾根村に多く、このほか、岩槻領に属する谷中・西新井・長島村、また越ヶ谷領の神明下・四丁野・南荻島・北後谷村など市域を東より西に貫く、横の線上にならぶ村々で生産されている。同じような特色は蓮根にもみられる。八条・越ヶ谷・岩槻の三領にわたって生産されているが、村別にみれば瓦曾根・大間野・越巻・神明下・四丁野・北後谷・西新井・長島の八ヵ村に生産されている。出羽地域の深田に隣接する村々である。

越巻の蓮根畑(現新川町)

 このほか実綿は大相模地区と新方地区の村々に集中し、織物も四丁野村以外は大吉・北川崎・大杉・大松・向畑村などの新方領村々である。同様に、桃は袋山・大林・向畑・大杉・東小林村に集中し、小箱は向畑村、張子達磨は下間久里村とおのおの一村のみが生産地である。市域村々を大別すれば、水田を基礎に莚・草鞋・蓮根生産の南部村々と、新方領を中心とする織物・小箱・達磨などの手工業生産と、果実生産のおこなわれる北部村々に大別できよう。