番水議定

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ともかく用水の取入れは農作物の豊凶に関係したので、灌水量の多少あるいは取水の不公平はつねに農民の関心の的であった。このため田植時期や養水時期には、番水日割を定め、公平に灌水が行われる措置をとるのが江戸時代からの慣行であった。この番水の日割りを明治四十三年の末田大用水に例をとると次のごとくである。

第37表 明治43年度末田大用水田方番水日割
田方植付番水日割
日時 灌水地域
5月23日 藻刈
5月24日,25日 平水
26日朝~6月1日夕 大間野・七左衛門・越巻
1日夕~3日夕 北後谷
3日夕~8日朝 西新井・長嶋
8日朝~21日朝 南荻島・神明下・谷中・四町野・越ヶ谷
21日朝~23日朝 砂原
23日朝~29日朝 小曾川・野島・末田

 まず五月二十三日に藻刈を実施し、同二十四日二十五日は平水(そのまま流す)とする。同二十六日朝から六月一日夕まで大間野・七左衛門・越巻地域が取水する。同一日夕から三日夕までは北後谷と西新井、六月三日夕から八日朝までは長島・南荻島・神明下、八日朝から二十一日朝までは谷中・四町野・越ヶ谷、二十一日朝から二十三日朝までは砂原・小曾川、六月二十三日朝から同二十九日までは末田・野島という日割りになっていた。さらに同二十九日からの養水番水日割も、田方植付番水日割の順序にしたがって八月五日まで続けられていた。

 また大正五年度の番水日割は第38表のごとくであり、その年の用水量の状態や、地域の状況により、そのつど適当な日割が定められていたようである。

第38表 大正5年田方養水番水日割
日時 灌水地域
6月29日 藻刈
6月30日~7月1日 平水
7月2日朝~8日夕 大間野・七左衛門・越巻
8日夕~10日夕 北後谷
10日夕~15日朝 西新井・長島
7月15日~16日 平水
16日夕~29日朝 南荻島・神明下・谷中・四町野・越ヶ谷
29日朝~31日朝 砂原
31日朝~8月5日朝 小曾川・野島・末田