教員と就学状況

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「教育令」期では、小学校の教員たる資格は、まず一八歳以上の男女で各府県立の師範学校の卒業者か、師範学校の卒業試験に合格して卒業者と同等の資格を得るか、あるいは各府県が行う学力検定試験に合格して学術証書を得るかの三つである。ただ例外として、以前から寺子屋の師匠をしていた儒者などは修身科教員として、あるいは農業・商業など専門的技能を有する者は無試験で検定合格証が県から与えられた。

 さて、この期の市域の教員についてみると、当初学校が教員を得るためには、前述の資格者と村民の代表者である学務委員と戸長が委嘱契約書を交換することになっていた(十三年「公立小学校教員委託規則」)。

 次に就学義務年限についてであるが、「教育令」では、三年間に最低一六ヶ月と短縮され、「学制」期の八ヵ年に比して大きく後退した。しかし、これはむしろ実態に近いものであったという。だが、十三年「改正教育令」では、三ヵ年以上八ヵ年以下で、三ヵ年修了後も、毎年一六週間(これまでの半分)は引続き就学させるよう改めた。

 児童の就学督促の任に当ったのは「学制」期の学区取締に代って、学務委員であった。

 十四年一月には「埼玉県学齢児童就学督責規則」が制定され、学務委員を中心に、学齢児童就学の調査、休業調査、不就学調査をなし、就学を督促した。

 いま、「教育令」期の就学状況を示したのが第41表であるが、南埼玉郡は全国、県の平均より低く、特に女子は大きく平均を下回った。

第41表 教育令期の就学率
全国 埼玉県 南埼玉郡
12 58.2 22.6 63.7 21.0 55.5 11.5
13 58.7 21.9 59.9 20.8 51.4 11.8
14 60.0 24.7 58.0 20.7 51.9 11.6
15 64.7 31.0 63.6 25.8 52.4 13.0
16 67.2 33.6 69.1 31.4 64.9 19.5
17 67.0 33.3 71.3 30.6 63.6 19.8
18 65.9 32.1 68.2 31.7 39.8

(単位:%)

 市域の状況については、その全貌を知り得る資料がないが、十八年一月の時点における上間久里、下間久里、大里の三ヵ村の就学状況を示したのが第42表である。これによれば、全般的に、国、県、郡を下回っており、ことに三ヵ村合わせて八六名の女児のうち、わずかに一人しか就学していないという状況であった。しかし、この数字は、そのまま直ちに村民の教育への無関心さを意味するものではなく、むしろ、不況下にあえぐ農村の実情を如実に物語っているのである。

第42表 市内3ヵ村の就学状況
学齢児童数 就学児童数 就学率
上間久里
64 15 23.4
34 14 41.2
30 1 3.3
下間久里
66 21 31.8
29 21 72.0
37 0 0
大里
38 11 28.9
19 11 57.9
19 0 0

(明治18年)

(各処往復書類綴込)