高等小学校の設置

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明治十九年の小学校令では、尋常小学校のほかに新たに高等小学校の設置を定めたが、各町村に高等小学校を設置維持するのは財政上から困難なので、埼玉県では同年十月、県下の郡役所・戸長役場に対して高等小学校の区域、位置、生徒予定数などを具申させ、それに基づいて翌二十年四月県下に二六の高等小学校設置区域を定めた。

 市域は、そのうち南埼玉郡下五地区の第二区となり、南埼玉郡第二高等小学校が設置されることになった。そして、二十年四月、市域に川柳村を加えた越ヶ谷町ほか一〇町村を学区とする越ヶ谷高等小学校が越ヶ谷尋常小学校教室を仮用して開校した。開校時は、職員が訓導二名、補助員一名で、生徒は五四名(うち女生徒二人)と小規模なものであった。そして、二十二年八月、その校名は当初指定の南埼玉郡第二高等小学校と改称された。

 以後年を追って生徒数が増加したため、二十三年一教室(三十坪余)を増築し、さらに同年設置主体として、越ヶ谷町ほか十ヵ町村で越ヶ谷高等小学校町村組合会を設立した。

 明治二十五年の改正小学校令が施行されると、町村組合会は解散し、同年九月、同規模の越ヶ谷町ほか十ヵ町村高等小学校組合が設立され、一切を引き継いだ。そして、名称も南埼玉郡越ヶ谷高等小学校と称した。