経営と収支

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このような農家の、生産上の収益状況を、市域の平均的な農村地帯である上間久里連合村にみてみよう。

 第45表は連合五ヵ村における米と大麦の一反歩当り収益表である。水田の場合、一反歩当りの播種量は七升、その代価は二〇銭である。この生産には男子一三人、女子九人の合計二二人の労賃が二円八八銭ついやされている。このほか肥料代と農具損料などの諸費を合計すれば、反当りの生産諸費はあわせて七円一八銭五厘である。この額を反当り収量一石四斗の収益額八円二三銭五厘から差引くと、純益は一円五銭となる。大麦の場合は男女一八人の労賃が計上されており、同じように計算すれば一円八一銭の赤字となる。もちろん、当時の耕作は雇傭労働力による労賃の支払いはおこなわれておらず、家族労働力を中心とする経営であったから、実際には労賃部分は支出されていない。とすれば、播種代価、肥料代、諸費のみの支出であるので、大麦の場合でも三八銭の黒字となる。これでは労賃を控除しうる近代的な収益計算が成立しないので、身体を泣かせて耕作する日本の農業の特有な姿を、この収益表にみることができる。

第45表 上間久里連合村の反当り米麦収益表(明治19年)
播種量 工価 播種料代価 肥料代 諸費 収益
数量 代価
円 銭 円 銭 円 銭 石 斗 円 銭
70 2.88 20 2.57 1.53.5 1.4 8.23.5
120 2.19 17 1.60 35 1.5 2.50

 このような反当り収益を基礎として、五ヵ村全体の農産収益をみれば、第46表のようになる。明治二十二年の収入をもととした二十三年二月現在のものである。

第46表 上間久里連合(桜井)村の農産収益表(明治23年)
戸口 384戸 2,361人
(専業231戸 兼業153戸)
農産収入 2万6,510円24銭4厘
負担 地租 4,533円13銭8厘
地方税 595円22銭1厘
村費 647円58銭8厘
公儲 105円80銭
合計 5,881円73銭8厘
農家負債額 2,361円
収益 8,267円50銭6厘
一戸平均 田畑 1町5畝11歩
収入 69円03銭7厘
負担 15円31銭7厘
負債 6円14銭8厘
所得 21円54銭

「農産収入等調」越谷市史(五)61ページ

 表によれば、農産収入は五ヵ村全体の米麦以下、蔬菜類、綿、繭、鶏卵などの全収入である。これより諸負担を差引き、さらに明治二十二年までの土地家屋を抵当とする借金および普通の生計上の借金などの負債総額を差引けば、八二六七円余の収益となる。これを一戸当りにすれば二一円余の収益である。ところが、この収益には生産費が計上されてはいない。第45表にみられた米麦の生産費が、かりに他の生産品にもあてはまるとすれば、収益に対する生産費の割合は米八七%、大麦一七二%となる。労賃は自家労働による無償として米麦とも考えれば、田畑平均の生産費率はほぼ六割である。

 したがって、村全体および一戸当りの純益は、収益より諸負担、負債、生産諸費を差引いた三三〇七円余、八円六一銭余となる。もちろん、この純益は労賃が支出されていない場合であるから日雇や年雇の雇傭労働が用いられると、それだけ減益となるはずであった。資本主義的な農業がなかなか成立ちにくい状況をみることができよう。また、純益の少なさは、生産費の高騰や災害、家族の病気などの事故によっては容易に赤字に転ずる額であった。