町村制の実施

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明治二十一年四月、政府は法律第一号をもって市制町村制を公布し、翌二十二年四月一日に実施するものとした。上諭によれば、「隣保団結ノ旧慣ヲ存重シテ、益之ヲ拡張」するため、法律によって町村の権義を保護するためであるという。

 この新町村制は、第一章の総則から町村会、町村行政、町村有財産の管理、町村内各部の行政、町村組合、町村行政の監督、附則などの八章よりなる。これにより規定された町村の特徴は次の四点である。

 第一に、江戸時代以来の自然村落的な共同生活体としての一体性が失われて、町村は住民の人格とはべつに独立した性質をもつことになったことである。町村は町村を代表する町村会と、行政機関としての町村吏員が、町村の実務を担当することとなり、近代国家の法律における法人の概念で律せられることになっている。

 第二は、一応の町村自治的性格をもつ点である。町村は官の監督をうけて公共事務を処理する機関であったが、議決機関としての町村会が町村の事業、歳入出予算をきめ、決算報告などを定める議権と、町村住民および公民たる権利の有無、選挙・被選挙権の有無などを決定する権限、および町村吏員を選任する権限をもった。執行機関たる町村長および助役は、三〇歳以上の選挙権をもつ公民のなかから、町村会が選任することになったから、従来の官選戸長はここに終止符がうたれた。なおこのときは無給の町村吏員は議員を兼務することが可能であった。そのため越谷地域の村々では、のちに町村長が町村会議長を兼任するようになっている。執行権と議席権の一体化である。

 第三は、地方自治とはいえ結局は、町村をもって中央の行政補充機構とした点である。自治的な観点から町村長・助役は名誉職にしてかつ無給とされたけれども、町村内の法律制定はほとんどなく、国のつよい監督下におかれている。地方の人びとの自治的要求に最小限の満足を与えながら中央集権の徹底をはかり、町村に中央政治を浸透させるため、最大限の効果を発揮させようとしたのである。

 第四は、新町村制は町村の有産者、なかでも地主層を重視した点である。町村内の公民は町村会議員の選挙に参加し、町村吏員に選任される権利があったが、公民たる資格は、その町村で地租をおさめ、もしくは直接国税二円以上を納めるものであった。しかも、町村会の選挙人は二級にわけられ、選挙人のうち村税の納付額の多いものをあわせて、選挙人全員のおさめる総額の半にあたるものを一級とし、それ以外のものを二級とし、この級により議員の半数を選出させている。このような町村制は、プロシアの町村制度を模倣したもので、町村の形式的自治制と、実質的な行政機関化を完成させることになっている。