越ヶ谷・大沢町の合併問題が、まったく「名称ノ紛争ニ激動」されたことにみられるごとく、新町村の名称決定には、さまざまな条件が加味されていた。それらは、地理的、社会的、政治的、歴史的な諸条件であり、最終的には現実の力関係によって決定される。市域村々の新町村名の決定されかたをみれば次のようである。
川柳村は町村吏員や町村会議員および惣代人などの合議によって新村の区域が設定され、名称も合併村の協議によって決せられている。川柳村の名称については、当時の史料には「他ニ理由アルニ非ス」とされているが、後に編さんされた「川柳村郷土誌」によると、柿木のカ、伊原のハ、南青柳のヤ、麦塚のギが合成されたものという。役場は合併区域の中央である理由から麦塚村におかれている。
大相模村の名称は、中世この地を「大相模郷」と称したことに由来する。新町村の編成当時においても、この大相模の名称が知れわたっていたようである。役場は中央の見田方村におかれている。大相模村と同じように、昔の郷名を採用したものに桜井村がある。上・下間久里、大里、大泊、平方村などは中世において桜井郷であったという。役場は上間久里村におかれた。大相模、桜井村が郷名を用いたとすれば、領名を採用したのは新方村である。市域村々のうち東北部一九ヵ村は、近世、新方領に所属したが、これら村々は、新町村制により増林村、大沢町、桜井村となったので、のこりの七ヵ村が領名を新村名としたものである。役場は北川崎村下町組におかれている。
蒲生村は合併した三ヵ村のうち、もっとも大きな村であった旧蒲生村の名称が、そのまま継続したものである。役場は登戸村におかれている。合併村のうちの大村をもって新町村名としたものには、このほか増林村と荻島村がある。増林村の役場は、増林の字城ノ上におかれ、荻島村は南荻島におかれている。
出羽村は合併村々に共通するものが、各村耕地に灌漑する出羽堀たるところから、この名称が新村名となっている。最初は「神明村」という呼称も考えられたようであるが、結局、出羽村におちついている。大袋村は「合併各村ノ文字ヲ折衷」したという。大竹、大道、大林などの「大」と袋山村の「袋」が一緒になったのであろう。役場は恩間村である。これらのほか、越ヶ谷宿は越ヶ谷町となり、大沢町と役場・町会を統一する組合町となったので、市域町村の新町村名は、郷領名採用型(大相模、桜井、新方)、旧村名継承型(越ヶ谷、大沢、蒲生、増林、荻島)、折衷村名型(大袋、川柳)堀名採用型(出羽)などに区分されよう。