勧業博覧会の後、市域村々の人びとが参加して開かれた大きな品評会は、明治二十五年四月、粕壁町自助館に開設された南埼玉・北葛飾・中葛飾・三郡連合の穀物品評会である。この品評会規則によれば、この会は「米麦大豆ノ改良ヲ謀」(明治二十五年「壱課収受書類」)るため開かれたものである。南埼玉郡における最初の本格的な品評会であった。桜井村より粳米二点と大豆が出品されている。こののち市域村々へ出品が勧誘されたものには次のようなものがある。
明治二十五年六月 蚕繭生糸蚕種品評会(岩槻町)
〃 十月 奈良博覧会社第一七次博覧会
〃 十一月 東京廻米問屋市場、見本米品評会
明治二十六年四月 一府六県連合共進会(宇都宮)
〃 四月 香川県琴平町第二回国益縦覧会
〃 七月 蚕繭糸品評会(菖蒲町)
明治二十七年一月 入間郡ほか三郡重要農産物品評会
〃 五月 第四回内国勧業博覧会
明治二十八年八月 大日本農会第三一回農産品評会
〃 十二月 第四回入間高麗郡立農工商共進会
明治二十九年六月 山形県米外十六品共進会
〃 六月 大日本農会第三二回農産品評会
明治三十年三月 比企・入間郡重要物産品評会
〃 十月 一府六県繭生糸織物共進会(足利町)
何回か出品が督促されているので、南埼玉郡はもちろん市域村々でも何人かはいずれも参加したものと思われる。とくに県・郡内の品評会および県が他県と共催する連合共進会にはつよく勧誘されたようである。第四回内国勧業博覧会も同様で、このとき木綿の部へは荻島村堀井甚五右衛門、越ヶ谷町小泉庄次郎、小泉市右衛門、大沢町の疋野清太郎らが出品している。なお三十六年には第五回内国勧業博覧会が開かれるが、このとき桜井村よりは大豆(早白花・晩毛豆)中村四方吉、大豆(白花)中村定八郎、大豆(錫杖豆)山口喜三郎、米(関取)深野弘一、大豆(毛裸)小島忠太郎、大豆(地塚)中村周太郎、須賀茂忠次らが出品した。
右に掲げた共進会および品評会の出品勧誘が市域村々へ要請された全部であるかどうかわからない。たとえば大日本農会の農産品評会は毎年開かれているので、掲示六年間でも他にも要請されていたものと思われる。この時期はとくに共進会・品評会行政といってよいほど共進会・品評会に重点がおかれていた。