稲作の指導

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明治二十九年害虫駆除予防法が公布されて以降、各県ではその施行規則、細則を判定し害虫駆除予防にあたるが、これと並行して短冊苗代の強制的な督励が行われる。三十一年には農商務省は農業改良の訓令を発し、米作に関しては排水を良好にすること、耕作法の改良、なかんずく選種、播種、植付、苗数、株数、籾種浸水および苗代改良等に注意すべきことを指令した。

 これをうけて埼玉県では明治三十四年、稲模範作共進会規定を設けて稲作法の体系を示している。これによれば稲種は県内各地の、その地域で賞用されるものを用いることとされ、選種は塩水選か苦塩汁選とされる。その濃度は塩一貫二、三〇〇匁を水一斗に混入したものを用い、浸種期間は四日ないし一〇日間とする。播種は浸種直後か、またはわずかに発芽しかけた段階で播くこととされている。苗代は水苗代で短冊形とし、これらの播種量は一坪に三合より五合の間とされている。このほか本田移植に関する注意、除草、害虫駆除、刈取、乾燥などと一五ヵ条にわたって決められている。これらは最初の稲作耕種法の体系的な改良指導であった。

 明治三十六年十月、農商務省は「農産ノ改良増殖ニ関スル諭達」を公布し、各府県農会を通じ、とくに町村農会には米麦種の塩水選、麦黒穂の予防、短冊形共同苗代、稲苗の正条植などを徹底させようとする。これに応じて埼玉県では知事が各郡で訓示し、警官まで動員して徹底をはかろうとすることは後述する。このような情況が国・県・郡レベルで進展している明治三十年代に、市域村々では巡回農事講話会(三十二年一月川柳村)、農会の設立による短期農事講習会、重要農産物品評会、害虫予防法実施説明会(三十四年十月越ヶ谷町)などのほか、蚕種製造講話会(郡役所)、麦講話会(武里村)などが開かれていた。他地方における共進会、品評会への出品勧誘もあいかわらず督励されている。