サーベル農政

198~199 / 1164ページ

明治三十七年五月、前月の苗代改良を主とする農事改良の知事訓示をうけて、郡役所は各町村長に、違犯者に対し「播種後ト雖トモ相当処分セラルベキ義ニ有之」(明治三十七年「学務勧業収受書類」)と注意し、受持巡査と協議すべきことを示唆している。この頃より、県が奨励する稲作法が実施されているかどうかを、村々の巡査がサーベルを鳴らして巡視するようになってゆく。短冊苗代や正条植の奨励に巡査が登場するのである。これをサーベル農政という。権力による強制的な農事改良が行われるのである。これ以降越谷地域の村々にも、毎年「苗代検査トシテ不日警察官臨検」(明治四十一年「学務勧業収受書類」)するから、各自現場へ姓名札を必ず建てるように、との通達が行われていた。

 明治四十二年には徐々に行われていた苗代改良をさらに徹底するために、共同苗代組合の設置を指示しており、六月には正条植伝習会も郡内各村で開かれている。このとき提示された「正条植実地指導方法」(明治四十二年「学務勧業収受書類」)によれば、江戸時代より正条植に熟練していた美濃国旧加納藩領下の技術者二人を招いて、桜井・大袋村では月なかばの十五日に実施されることになっていた。正条植による増収分は、試作成績によれば反当り一斗三升六合になるという。この年七月における桜井村の改良結果をみると、次のようになっている。

 稲種の塩水選  総種子量、一五三四〇〇合 塩水選実行量、六一四〇〇合 実行歩合四分

         稲作農家、三六七戸 塩水選実行戸数、一四七戸(前年までの実行一三一戸) 実行歩合四分

 短冊形苗代   苗代総反別、一〇二反五畝 短冊苗代実行反別、八二反(前年までの実行七七反) 実行歩合八歩

 共同苗代    ナシ

 麦種子の塩水選 総種子量、九六九〇〇合 塩水選実行量、三三九〇〇合 実行歩合、三分五厘

         麦作農家、三七四戸 塩水選実行戸数、一五〇戸(前年までの実行一二〇戸) 実行歩合、三分五厘

 また正条植については第54表の通りである。県より強制されて六年目の数値である。サーベルの威力によって徐々に改良されつつあるとはいえ、なかなか変化はしなかったようである。

第54表 正条植調査表
村名水稲作付反別正条植反別正条植比率
反歩反歩
上間久里44261.3
下間久里60450.8
大里30772.3
大泊44971.6
平方76530.4
2,566281.1

明治45年「勧業発収書類」参照